Q「応募する賞の受賞作を読んだ方がいいのでしょうか?」 A「ネコチャン!」
作家仲間のマシュマロで、「応募する賞の受賞作を読んだ方がいいのか?」という質問をみかけたので、考えたことを書いてみる。
たぶん、「自分がなにをやりたいのか次第」なんじゃないかなぁ…と。
「賞をとりたい」「デビューしたい」
「こういうものが書きたい」「こういうことを表現したい」
「だれかに認められたい」「ほめられたい」
小説を書いて公募に出してるなんて人には、いろんな動機があると思うんだが、現時点どの気持ちが一番大きいんだろうか? っていうのがまず見えていないと、行きたいゴールにたどりつけないんじゃないかなぁ…と。
僕は公募時代、受賞作とか特に読んだことがなかった。
それは、「賞をとりたい」「デビューしたい」って気持ちを、あえて小さく持っておきたかったからなんだよね。
そこに気持ちが向いてしまうと、自分のなかで書くことに燃えるものがなくなってしまいそうだったので、なるべく視界の隅に置いておきたかった。
賞をとるために書いてしまうと、落選したときに虚しくなってしまう。
書きたいから書いているなら、結果にかかわらず熱量を持ち続けられる。
だから、意識的に作品外のことを視野から締めだしていたんだ。
賞のことを調べもしなかったし、ジャンルすら意識してなかったし、「おもしろいもの書いてれば、なんかそのうちどっかでデビューしてるだろう」くらいに考えていた。
僕はたぶん、「こういうものが書きたい」「こういうことを表現したい」が一番の動機で書いているタイプだったんだと思う。
もちろん、このへんの気持ちは流動的なもので、だんだん自分の腕に自信を持てるようになってくると、「賞をとりたい」「デビューしたい」という気持ちを無視できなくなってきた。
その際、やはり前述のスタンスのままで目的を達成することはむずかしくて、スタンスの転換にせまられて……その転換がほんとうにむずかしかったので、僕はなにか講師をするときに、ついそのへんの話をしてしまうんだが。
なので、自分のなかの動機が、「こういうものが書きたい」「こういうことを表現したい」なら、べつに受賞作なんて読まなくてよくね? あなたの書きたいものに関係ないし、って思うし。
「賞をとりたい」「デビューしたい」「商業作家になりたい」なら、つべこべ言わずに読んでおけ、って思うし。
「だれかに認められたい」「ほめられたい」なら、まず、だれに認められたいんだ? ってのをハッキリした方がいいと思うし。
そのへん、自分が何を求めているか次第だよなぁ…というか。
まぁ、たいていはそれらの複合体だとは思うんだけど。
一度だけ、選考委員をやらせてもらったことがあるんだけど。
そのときに思ったのは、これは自分の立場によって、まったく違う感じ方になりそうだな…ってことだった。
選考委員の立場の僕は、
「傾向とか対策とか気にせず、のびのびと自分の一番書きたいものを力いっぱい書いてください!」
って思うし、
でも僕が進学塾の講師みたいに、受講生の作品の受賞率が自分の評価と関わってくる立場だったら、
「自分の書きたいものなんて書いててどうする! 賞の傾向と対策を練って、落とさせないような作品づくりをしろ!」
って思うし、
でもその作家の幸せを願う立場だったら、やっぱり、
「自分の一番書きたいものを力いっぱい書いてください!」
って思うんじゃないかなぁ…とか。
そして、「書きたいものを力いっぱい書いてくれ!」という思いもまた、上澄みだけ読んでる自分の立場によるもので、これが下読みの立場だったら、
「おまえらちょっとは下調べしろや!!」
って思ってるだろうなぁ…とか。(公募してたころの僕は、こう思われてた可能性大)
そのすべての気持ちを、いい感じに混ぜ合わせた言葉がこれです。
「ネコチャン!」
です。
他人の動機にひきずられずに、自分が何をやりたいのか考えてみることが大事だよね、みたいに思った。
でも、それが一番、むずかしいんだよなぁ…。
自分もしょっちゅうわからなくなってるしなぁ…。
ネコチャン!