よくわかんないけど、どうしてもそういう風になっちゃうんだよっていう話
この前、みずのまいさんのトークライブに参加したときに、
「自分が書いているのは、ぜんぶ闘いの話なんだと思う」
といったことをおっしゃってるのを聞いて、とても面白かった。
たしかにみずのさんのデビュー作を読んだとき、恋愛ものなのに、「この作家さんイケメンだなあ」と思ったもんね!
作家には、その人ごとに、
「よくわかんないけど、どうしてもそういう風になっちゃうんだよ」
みたいな、色とか癖ってものがあるんだと思う。
それは自覚してどうこうしているわけじゃなくて、なにか生き方とか、原体験とかによって、自然にそういう風になっちゃうもんなんだ、たぶん。
僕の場合はなんだろう? 自分はなんについて書いてるんだろう?
とぼんやり考えていた。
なんとなく思ったのは、たぶんだけど僕は、
「失ったものを埋める話」
を書いているんじゃないかと思うのだ。
鬼から逃げる男の子の話か、お母さんとケンカした男の子の話か問題
絶望鬼ごっこの1巻なんだけど。
編集さんに絶望鬼ごっこの1巻がどういう話か聞いたら、たぶん多くは、
「恐ろしい鬼に追いかけられて逃げるお話」
みたいに答えてくれるんじゃないかと思う。
エンタメとしても、商業としても、そう捉えるのが正解だと思う。
実際、内容の面白さの9割方は、そっちに依存しているだろう。
でも僕にとって、あの話は、
「お母さんとケンカした男の子が、その心の穴を解消するお話」
だった。
"鬼"とか"地獄"とか"ルール"といった道具立ては、お話を構成する要素であって、もちろんとても大事なものだ。
でも小説を書くときには、その全体を包む膜みたいなものが絶対に必要で、それがあの1巻でいえば、主人公がお母さんとケンカして、凹んだ心を回復させる話、ということだったんじゃないかなと。
(実際、この時点では"地獄の穴"は、親とケンカしてつい棘のある言葉を投げてしまった子供の、後悔とか心の傷の暗喩だった。だれも気づいてないけど)
個人的には。
お話を構成する要素……上に乗せる要素っていうのは、わりと柔軟に変えられる。
ジャンルだってそれほどこだわりない。
そこはなるべく、大勢の読者に楽しんでもらえるものがいいなって思ってる。
ただ、その全体を包む膜の部分は、あまり自由が効かないのではという気がする。
自由に変えられる人もいるのだろうが……どうも自分の場合は、無理なんじゃないかしらと。(単巻だったらいけるかなぁ)
長くなったので続きは次回。