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アナザーエナジー展:16人のアーティストそれぞれの作品に感じた想い
こんばんは。Minoriです。
さて、森美術館で行われている、アナザーエナジー展に行ってまいりました。
大変心が動かされてもうどうしようもなかったので、意地でも全16人の作品に、自分の言葉として感想を残したいと思ってしまいまして、この記事が出来上がりました。
撮った写真があるものは、載せています。
溢れる想いを、展覧に行った当日に書き出しておきました。あとから見かえして、さすがにこの表現は....と思えば修正するかもしれません。9月26日まで展示されているとのことです。
以下の文章、文体が変わります。
エテル・アドナンさんの作品
はじめ見た時、可愛らしい色使いだ、と思った。しかし、彼女の作品は、自然とともにあった幼少期を思い出させてきた。
自然に畏敬の念を感じられていたのはいつだっただろうか。
幼い頃住んでいた函館の海は、畏れを感じさせるような雰囲気を漂わせていた。近くの山も、すぐそこにある大きな自然だった。ただ生きているだけで、自然を感じ、食物や生物を感じていたのに、関東に来てからは自然を感じることがレアになっている。
自然は偉大だからこそ、小さな頃の私にとっては少し怖くて、今はただ遠い存在になってしまったように感じる。
フィリダ・バーロウさんの作品
バランスはあまり良くなさそうだけど、倒れないのだろう。
そう感じさせる作品だった。
おそらく上に乗っている石のように見えるもの、私にはそれがとても重そうに見えた。それに、ピンク色の布も、何かが沸騰しているようにも見えた。まさにエネルギーを表しているように捉えられた。
アナザーエナジー展、入ってすぐにこの作品が現れるので、圧倒されてしまう。
アンナ・ボギギアンさんの作品
絹糸で吊るされた絵は、不思議と動きを感じなかった。
それよりも、下の鏡に映る絵、床に影に映る絵、そしてその絵の裏側の緑、背景の紺...と奥行きを感じさせる工夫が散りばめられているように感じた。
一つの作品でたくさんの文化を絡み合わせていて、全体を捉えられた気がしない。もう一度見たい。
ミリアム・カーンさんの作品
たくさんの「?」が浮かんでくる作品と、自分の性別や、日頃抱いている感情に対して、そういうものよね、と共感してくれるようにも感じられた。
その一方で、ミリアム・カーンさんは、多くの人がアートをみることに慣れていないこと、そして1つの見え方で、思考を止めてしまうことを認めている。
アート作品を創る人・アート作品を観にくる人・アート作品をみて1つの捉え方で終わってしまう人。いろんな人がいるんだろう。
リリ・デュジュリーさんの作品
「無題(均衡)」
ぜひサイト、もしくは、会場でこの作品を観た人に感想を聞きたい。
バランスを保っていて、すごい。そんなことを感じて欲しい作品なんだろうか。でも確かに、止まることの難しさ、ってあるかもしれない。
エナジーは、動きの中にあるように感じるけど、動きが存在するには、静止があるから、動きが生まれる。ダンスみたいに。
そういうことだろうか。
アンナ・ベラ・ガイゲルさんの作品
内臓位相シリーズがいくつか並べられていたのが印象的。
人間というシステムのある一部を取り出した時に、この絵としてあらわれている、と思うと、興味深い。
ブラジルの混乱した社会と自らの存在を結びつけて捉えている作品もとても多かった。
身体を構成するものへの意識と、社会に構成されている自分(人間)としての意識を持ってして、多くの作品が生み出されたんだろうか。
彼女のインタビューはとても力強く、アートは社会に教育的な意味をもたらすと述べていた。アートとは何か、アートが持つ教育的な意味とは?もっと考えてみたい。
ベアトリス・ゴンザレスさんの作品
特に「追放された壁紙」という作品について。
はじめ、この作品が目についた時、なんだか綺麗な色使いをした壁紙だと思った。しかし近づいてみると、何かを持って歩いている人がたくさん描かれていることに気がつく。
ここで終わってしまったのでは、この作品の持つ意味が心に届くことはない。この作品には、解説があってよかった、とホッとした。
知らないことの怖さと、自身の経験したことのない経験を表している絵、そして、2010年代という少し前の出来事であり、知らないふりをしてはいけないようにも思う。
カルメン・ヘレラさんの作品
素敵!そう思った。なんだろう。昔から、角のあるものが好きな私にとって、ワクワクするような作品が並んでいた。
意図ばかり考えていたこの展覧会で、素直に心を動かすことができたことが嬉しかった。
加えて、彼女は動画の中で、
「私たちが生きるこの混沌の中に何らかの秩序を与えたい」
と語っていた。
彼女の作品には、それこそ畏敬の念を感じる。
キム・スンギさんの作品
移りゆく変化に、おそれるどころか、並走している?もしくは、彼女のような人が、世界を動かしていっているのかもしれないと感じた。
「1つは複数」
とても印象的であるし、何かを考えるときに、ふと頭に浮かんで欲しい言葉である。
(むずかしそうで、私にもよくわかっていない単語をあえて使うと、)構成主義的である世界を、タイムリーに表しながら生きているんだろうと感じた。
スザンヌ・レイシーさんの作品
玄関と通りのあいだ
ジェンダーなどについて対話する人たちを写した20分の動画作品、通して拝見した。
私もジェンダーについて語りたいし、語っている人と親しくなりたいと思った。英語が話せたらもっといいかも、と。
自分自身、女性で日本人、何か強い不自由を感じているか?と言われたらそうでないかもしれないけど、強い違和感を感じて、そのままにしてきたことは、数えきれない。
矛盾や違和感を感じた時、一人で解決できないから、スッと流してしまったけど、一人で解決なんてしようとしていたから、よくなかったんだ。誰かに話してみればよかったんだ、その勇気よ。と思った。
三島喜美代さんの作品
日本語が見えた時、ひと昔前の缶や雑誌のモチーフが見えた時、少し安心を覚えたのは、私だけではないかもしれない。
一方で、日常より接する膨大な量の情報や、溢れるモノたちは、何をもたらしているんだろうか。と強い疑念を抱かせた。
あとは私の勝手な感想すぎるが、答えのない、楽しいことを続けていた、しんどいことも受け入れるというのは、私が尊敬する芸人の方々のようだと思った。
三島さんが大阪の方だからだろうか。
宮本和子さんの作品
黒い芥子という作品
ある方向から見た時、見ていられなくなった。なぜだったんだろう。
糸が複雑に絡み合っていて、私の脳内で状態を処理できていなかったのかもしれない。
撮った写真は残念ながらピンボケしていた。
過去と未来が同時に描かれているからか、じっと見ていられないというか、不思議な気持ちになった。
センガネングディさんの作品
生を人間を使って表している作品があった。
「R.S.V.P.(お返事をください)」といい、作品に他者の反応や関与を、大切にしているとのこと。
烏滸がましいが、私がいうのなら、
人は規範や社会的な制約に対して、あまり意識的ではない。規範に囚われた身であることに気づいた時、どんな感情を抱くかが、人それぞれであり、その部分をもっとオープンにしていくことが、大切なんじゃないかと思う。
そして、そのオープンにした気持ちを、相手がどう捉えるかも重要で、社会がどう捉えていくのかも重要だと思う。
身体の伸縮性は、まさにしなやかさであり、持ち合わせていたいものである。
ヌヌンWSさんの作品
色が特徴的で、並べるとさらに世界が広がる、そんな作品である。
単色が並べられているようにも見えるが、先ほどのキム・スンギさん曰く、1つは複数。
複数からなる1色×いくつかの色=1つの作品?
と勝手に式を立ててしまう。
アルピタシンさんの作品
ポップに世を批判する、いや批判するとまではいかなくても、作品として世の不条理を示すことができるのは、なんとも素敵である。
抽象的な作品とリアルなものを描いた作品、そしてそれらが混ざった作品、さまざまだった。
また、平和を祈る意味で、「ORIGAMI」と描かれていることも印象的。
平和を祈る、という概念は、「〇〇から開放されたい」「〇〇がもう起こらないで欲しい・無くなってほしい」など、その〇〇が異なっていても、共通する概念だと強く感じた。
ロビンホワイトさんの作品
大通り沿いで目にしたもの
こちらの作品も、ぱっと見たら美しい柄をした布である。
でもそれだけではなかった。繰り返される人間の歴史が、連なっている。
長い歴史を持ったこちらの作品、正直いうと、触ってみたかった。(作品なので、もちろん触ることはできないのは承知だが、)歴史を手にとってみたかった。この、目の前に広がる歴史を触ることができない、作品と自分という関係でしか接することができないのは、なんだかむずむずした。
☆
やはり作品の写真などがないと、一学生の感想としては、全く伝わらないだろうなと思う。
が、溢れ出てしまったものを発信したくなった、その気持ちに素直になった結果として、noteの記事を「公開」する。
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