知床の流氷の上を歩いたら
2024年の3月に私ははじめて、北海道の東のほうに足をふみいれた。
阿寒湖、網走、そして知床。
どの地も素晴らしかったのだけれど、特に私の記憶に残っているのが知床だ。
知床の海には、流氷、といって大きな大きな氷が大海から流れ着く。
大きな氷が、海の上にたーくさん浮いているのである。この記事のヘッダー写真はそのときに撮ったもの。
イメージ画像みたいだけど、わたしがこの目でみた景色だ。
わたしはその流氷の上を歩いた。
流氷ウォーク、といって、ドライスーツを着て、海の上にどーーんと浮いてる氷の上をのしのしと歩いた。
氷と氷の間を勢いづけてまたいで移る。
ドライスーツを着ているので、海の中に落ちても大丈夫。さすがにずっと海に浸かっていると寒いけれど、ざばんっと落ちるくらい平気なのだ。
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流氷の上を歩いたとき、わたしはわたしでないなにかになった。いつものわたしじゃない、なにか。
広大な自然の一部である海と、いろんな条件が組み合わさって存在している流氷と、澄んだ空気と、インストラクターさんとわたし(たち)。
関東から来た都会者が自然に触れさせていただく体験をしにいったつもりだったけれど、そこにある海、流氷、空、空気と近づいた気がした。
外部者のきもちで参加したけれど、ここにあるものはもっと近い、どこかで繋がっている、この世界にいる同じ"存在"であると。
東京にいると、自然と自分の関係性がすごく遠くなる。じぶんはつくられた街にいて、囲われたスペースでの呼吸を許可されているような。
すでに存在している(守るべきとも言える)自然とわたしがつながっているなんていう意識は到底芽生えない。
都会には人間の希望によって存在しているものばかりな気がする。誰かの意思で世の中が便利になるように、つくられたもの。
自然は違う。生物が生きていくためのやくわりを果たしているけれど、誰かの意思でつくられたわけじゃない。
そう考えると、なおさら自然は尊く、生きている意味すら考えてしまうにんげんがもっと深く繋がるべきものだと思う。
つまり何が言いたいかというと、人生に1度は知床に行ってみることをおすすめする。
そして流氷ウォークにもチャレンジしてみると、なにより超楽しいし、自然に感謝の気持ちを持つことができるのです。