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人にモノをおすすめすること
人にモノをおすすめすること。当たり前に行われているコミュニケーションの一つだが、これを分類すると大まかに三段階のレベルがあると思っている。
①あくまで紹介というかたち。
②自分の好きなものを知ってもらいたいというもの。
③自分が思う相手が好きそうなものを教えたいというもの。
言うまでもなく、下にあるものほどおすすめをするという行動のコミュニケーション性は上がる。難易度も上がる。
飲食店を例にして少し解説してみよう。
①紹介の段階では、おすすめしたものの取り扱いをどうされたって構わないと思う。
「近くの飲食店ならこんなのがあるよ」
「あ、そうなんですね」
で、終わってしまって問題はない。何故ならば、そのおすすめしたモノに感情は乗せないからだ。おすすめしたモノについて、相手が興味を持つも持たないも反応の良し悪しも気にならない。
②の自分の好きなものをおすすめするのは、自己開示に近い。自分はこういうものに心動かされますと言っているようなものだ。
「ここがおすすめだよ。わたし、好きなんだ」
「あーそこね。前行ったことある。
美味しいよねor好みじゃなかったわ」
欲しいのはここまでのコミュニケーション。おすすめしたモノについての取り扱いをどうするのかという点と、その感想まであるとおすすめした側は嬉しいと思う。おすすめしたモノ自体への評価というのは、相手次第でありコントロール出来るものではないので基本的には気にしない。繊細な人や思い入れが強いモノだったら、多少は傷つくかも知れないが、それは相手に求め過ぎだと個人的には思う。
とはいえ、一種の自己開示を無下にされるといい気はしない。このおすすめをどれくらい出来るかというのは、こういう事への心理抵抗がどの程度働くかによって違い、個性や価値観によるところだろう。私は結構この抵抗が大きく、おすすめすることのハードルが高い。
例えば、
「おすすめの作家さんっていますか?」
「あー(無難な返答を検索中)、いないかな(いるけど、言っても知らないだろうし説明が面倒だし話広げるのも億劫だし、変なふうに理解されて誤解されたら嫌だし、それを訂正するのも割に合わないし。)」
こうなる。
③の相手が好きそうなものをおすすめする行為。②との境目が曖昧な人も多いかも知れないが、これは、相手を理解しているか或いは、少なくとも自分の中で相手のイメージをしっかり持っている場合でないとなかなか生じないと私は考えている。
相手が好きそうなものをイメージするには、
『自分から見た相手のイメージ』
『自分が持っているおすすめの持つイメージ』
まず、大前提としてこの2つが必須だ。
そして、
『自分から見た相手のイメージ』を相手が同程度に自認していて、かつ、『自分が持っているおすすめの持つイメージ』を相手が同程度に思い描くこと、そしてそれを相手が好きそうだと思うことによって、おすすめがおすすめとして成り立つ。
①から③の流れを、カレーが好きで今から食べに行こうという人に対する場合の例を出そう。
「近くにはチェーン店と個人経営のところが2店舗あります。個人経営の一方は、本格カレーでスパイシーなのが売りで、他方はいわゆる家庭の味っぽい庶民派カレーが売りの店ですよ」(①の段階)
「わたしは断然スパイシーなのがいいので、本格カレー屋さんが好きです。家じゃなかなか再現出来ない味で美味しいのでおすすめです」(②の段階)
「でもアナタは、家のカレーが一番って言っていたので、もしかしたら庶民派カレー屋さんの方が口に合うかも知れません」(③の段階)
「試しに君のおすすめのスパイシーなのにも挑戦してみたいし、店として成り立つほどの家庭の味というのもすごく気になるけど、今日は時間が無いからチェーン店でサクッと済ますよ」(模範解答)
もちろん、ここまで厳密でなくともおすすめは成り立つのだが、この状態が一番心地よいコミュニケーションだと思うのだ。
相手のイメージを持つことも、おすすめしたモノを相手が好みそうか考えるのも、多少なりとも労力がかかる。それに、見当違いだったらどうしようとか、おすすめするモノに触れるのにコスト(金銭や時間)がかかる場合なら尻込みもするだろう。心無い反応で、自己否定された感覚を覚えることを厭う人だっているだろう。
そういった逡巡を抜けておすすめしてくれること。それはもう、それだけで十分に嬉しいことだと思うし、これがまたパチリとはまると何ともいえない満たされた気持ちになる。
さて、コミュニケーションの基本は双方向性にある。受け取ってばかりでなく、百万回失敗することを恐れず、たった一度きりでいいから成功することを信じて、おすすめという自己開示をしてみるのも悪くないのかもしれない。
※
そういえばnoteのおすすめ機能の改悪は、③っぽいことをしたいのは分かるんですけど、前提の②がないから①にしかなりようがない気がしますよね。閲覧履歴を参照してるのを隠しもしない姿勢は評価できますが、色んな記事を見る私の場合、混沌の海が広がりすぎて泳ぐ気がなくなってしまいます。