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無限に続く『禁句(タブー)戦』を繰り広げるような
『幽☆遊☆白書』という漫画の中で、こんな言葉ゲームで対決する話がある。
1分ごとに50音の「あ」から順番に禁句として使えなくなっていく。禁句を言ったら負け。
なんとも単純なルールだけど、奥深い。脳がフル稼働して禁句とそうじゃない言葉を仕分けしていく。
ちなみに漫画での舌戦内容は忘れたけど、誰もが一度はやってみたよね。え、やってない……まあいいや。
実際には、開始直後にろくに喋れなくなってしまうんだ。言語能力というよりもコミュニケーション力も問われると思う。だって、お互いだんまりだとつまらない。いかに禁句に触れずに会話して相手に禁句を言わせるか、ここを考えるのがこのゲームの面白いところ。(会話に夢中になると禁句言ったのに気付かないという問題もある。まあそれはそれで楽しめている証拠)
ちなみに私は“嬉しくなるとついやっちゃう”必勝法(終盤戦でも使える技)があるので大抵勝てる。
さて、ゲームの勝ち負けはちょっと脇においておくとしよう。この禁句がどんどん増えていくという感覚はこのゲームに限ったことでなくて、普通のコミュニケーションにおいても同じことが言えると思う。
この場合の禁句というのは、相手を傷つける言葉とか嫌いな言葉とか、という意味ではなくて、もうその話は結論が出たので今更話し合う必要はないだろう、といった内容のことだ。
何度も同じ話を蒸し返したり、同じことを聞いてきたりすると、それはコミュニケーションとしては成立していない。もちろん、確認の意味で掘り返すことはあるだろうが、そういったニュアンスも含めてコミュニケーション技術だ。
さて、特定の相手とコミュニケーションが深まっていった時、つまり時間が経過していくにつれ、改めて話題にあげる必要がない言葉や内容というものが増えていく。そうすると、今持っている話題や新しいものを話題にしたいと思って脳内がフル稼働する。もちろん相手からもそういったものの提供がある。これが楽しいわけだ。
更には、禁句になったといっても本当の意味の禁句ではないから、タイミングを逃さず使えば最高のスパイスにもなる。「ここでソレ持ってくるか!」ってな感じ。そこから突入する思い出話もまた美味しい。
そういう風に、何気ない言葉が特別なものへとなっていくのもコミュニケーションだ。内輪ネタを増やしていくと言い換えることもできる。他の人が聞いてもさっぱりわからないけど、その人達の間だけではもう全てが通じ合うような。(弊害として、全く関係ない場面で本当の意味でその言葉を使ったときにも違う意味として解釈してしまう恐れもあるのだけれど。まあ、それも含めて楽しめるのが理想かな)
これらのことって、相手も自分も共有した内容を完璧じゃないまでも、大まかには覚えていないと成立しないから本当に難しいしいい加減には出来ない。でもだからこそ心の底から楽しい。
そして、無限に言葉を紡ぎ続ける自信はあるけれど、全ての言葉が禁句になって喋ることが出来ない状況というのは、ある意味で憧れてしまう。もうぼくらには言葉なんて要らないね、というシチュエーションを夢見ている。
“話すこと”が無くなるまでじゃなくて、“話す言葉”がなくなるまで語り尽くそう。
さあ、ゲームを続けよう。