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現代の詠み人知らず

素敵な和歌が残り続けている。作者は不明。詠み人知らずだ。作者不明だからこそ味があるものもあろう。

作った彼らは、後世に残る名歌になることを想定していただろうか。なかには、そういう人もいるだろうが、その限りではないだろう。

私たちのこの文章だって、それぞれの想いをのせることには変わりないが、どこまでその気持ちでいるかは人それぞれだし、その想いと評価が比例するわけでもない。


昔にくらべて「個」が意識される時代である。そして、作者という「個」が作品に介入しすぎて、作品の評価が変わることは往々にしてある。有名人と一般人が同じ事を言っても、あるいは全く同じ作品を作っても影響力は天と地の差だろう。

現代において、詠み人知らずは成立するのか。成立したとして、その意味とは。

詠み人知らずは「オワコン」なのか。

いや、我々にはネットスラングがある。誰が書いたか不明だが残り続ける表現。10年先もあるかはわからない不確かなこれは、現代の詠み人知らずといえないか。

そこに作者の色はなく、単純にその言葉や表現が評価され愛され続ける。そして、おもしろおかしく改変されたりして、新たな価値を生み出していくこともある。改変が改変を呼び、もはやオリジナルなど分からないものもあるかもしれない。

もちろん、人が何かを製作する時に大きな功績をあげることを目標にすることは素晴らしい。だが、図らずとも誰かの心に残るものを作れたならば、それも同じくらい価値のあることであると私は思う。

だから、書くことを続けるし、読むことをやめない。新しい詠み人知らずが産まれる瞬間に立ち会える可能性を信じて。


最後にネットスラングが改変され続ける現象に名前を付けよう。これも価値あることになるかもしれない。

無名が繋げる無限連鎖アノニマス・インフィニット・チェイン

……ああ、これはダメなやつだ。


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