「良い母親」という固定概念
シンガポールで働いていた時に、女性は子供がいても働き続けるのが当たり前で、そのようなライフスタイルが社会で浸透していることが、日本で育ってきた当時20代独身の私には新鮮に映りました。そして、そんな男女関係なく活躍している国や社会は活気があるし素敵だなと思いました。
日本における「良い母親」とは?
それでは日本で、あるいは日本人にとっての、「良い母親像」とはどんなものでしょうか?結婚あるいは出産を機に仕事を辞め、子供のお世話をきちんとして、宿題を見てあげて、家の中を常にきれいに保ち、子供の習い事の送迎をしたり、ご飯を作りながら家でご主人や子供の帰りを待つ母親でしょうか?子育ては母親の任務であり、躾けは母親の責任であり、自分をほぼ「無」にして家族のお世話に全力投球を続けるのがよい母親なのでしょうか?
SNSでは、「良いお母さん」や「がんばっている母親」をアピールするかのような投稿が溢れています。例えば、ものすごく手の込んだよう毎日のカラフルなキャラ弁写真だったり、幼稚園や小学校などで使う数々のグッズを全て手作りしました!という投稿だったり…。きっと実母の姿はもちろんですが、周囲からのそのような情報も影響し、「良い母親像」がどんどん刷り込まれていきます。
赤ちゃんの頃から他人(保育園やシッターさん)に預けていると育児放棄しているのではないか?赤ちゃんが可哀想でないの?こんなに病気するのは仕事をしている(保育園に入れている)からでないの?そういった義母の声や周囲からの視線もあるかもしれません。
「良い母親像」が過去の姿から進化せずに多様性があまりないため、近年増えているワーキングマザーの人たちは、そのステレオタイプに自分が当てはまらないことにストレスを感じたり罪悪感をもつ人が多いと思います。
夫としてのステイタス?
また夫としても、妻が仕事をしているよりも専業主婦の方が、家計が頼れる十分な収入がある、(家事や子育ては奥さんに任せて)仕事に全力投球できる、という見方をされて、メンツを保てると聞いたことがあります。仮に夫がそういう考えの人であれば、妻は肩身の狭い思いで働くか、仕事を続けることを諦めるしかないでしょう。今の若者でもそのように考える男性は、どのくらいいるのでしょうか?
専業主婦の呪縛
確かに、日本の高度経済成長期では、父親がある程度の企業に就職すれば少しずつ年次昇給し、一つの企業で定年まで我慢して勤め上げ、多くの退職金をもらう、妻は寿退社し家庭を守り子育てに専念する、というモデルが成立していたのでしょう。しかしそれはその時代のモデル。それより以前、日本がもっと貧しかった頃は、男女問わず義務教育を終えたらすぐ働かなければならない時代があったと言います。現在は経済マイナス成長、大手企業だからといって安定しているとは限らないし、団塊世代が享受してきた勤続年数に応じた昇給・昇格は難しくなってきますし、多くの日本企業が外資企業や先進諸外国よりも給与水準が低いと言われています。そんな状況ですから、共働きでないとやっていけない世帯は確実に増加しており、下記のグラフでも、1990年頃まで専業主婦せ世帯が上回っていたのが、2000年移行から急速に共働き家庭が増えているのがわかります。
経済状況や家庭環境は変わってきているのに、今の祖父母世代やワークフォースの中核を担う30-40代社員の上司世代の「良い母親像」の価値観だけが変わらず、固定概念を作ってしまっているため、多くの女性はその呪縛に悩み、仕事復帰することに躊躇したり、復職してから罪悪感をもってしまうのです。そしてそれは周囲だけでなく、女性自身も「こういう母親でありたい」や「母親とはこうあるべき」という理想像に囚われ、苦しんでいるのかもしれません。
画一的な捉え方
実体験ですが、日本で私が職場復帰してからこの10年間、あまりにも数多く経験して疲れてしまったことがあります。例えば、洋服のお店や、ネイルサロン、マッサージ店に行ったとします。世間話で自分に子供がいるという話の展開になります。その後、たまたま仕事をしている、ということが分かった途端、相手は非常に驚くのです。しかもほぼ全員が、です。決して年配の方ではなく、若い方々もです。「小さい子供がいる、しかも複数いる=そんなママさんが仕事をしているはずがない」という方程式(偏見)が、皆さんの頭にできてしまっているのが明確に伝わります。逆に、最初に私が「仕事をしている」という情報が伝わったとします。その後「実は子供がいて」という展開になった途端、これまた非常に驚かれます。「信じられない」と。大袈裟でなく、「仕事で忙しそうにしている女性=子供がいるはずがない」という単純な思考回路や画一的な捉え方が、まだまだ日本では多くの人の頭にあることを痛感しました。「それはそんなに普通ではないのでしょうか?」「そんなに驚くことなんでしょうか?」とその度に心の中で呟きます。この驚かれるという経験がありすぎて、もう説明するのが面倒になり、自分のことを知っている方以外には、両方の面はなるべく話さなくなってしまいます。
数年前にアメリカに家族旅行をした際、Uberのドライバーさんにまず聞かれた質問は、「ママさんは何の仕事してるの?」そして「パパさんは?」でした。もう当たり前が違うのです。
固定概念を払拭するには?
先進国と言われる諸外国では、とうの昔に母親像の固定概念は取り崩され、もっと自由で多様な形が広がっていると思います。少なくとも私が住んだことのあるアメリカやシンガポールでは、ワーキングマザーは当たり前、お母さん管理職も普通にいますし、勤めていたフランス系企業の管理職や役員の半数以上は女性でした。知人のスウェーデン人ファミリーは、二家族とも、奥様の海外駐在のために夫が仕事を中断して家族一緒に日本へ赴任してきました。海外ではこんないろいろな働き方、家族のあり方、夫婦のあり方、があるのです。
ぜひ日本の多くの方がもっと視野を広げ、ワーキングマザーの皆さんは自分の親世代の「良い母親像」に苦しまないで、囚われないで、自信をもって自由に働き方を選べるような社会になってほしいと切に願っています。
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