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#4.気になるあの子

なんでもない秋の日、風呂場の隅に丸っこい影を見つけた。4本の脚を大きく広げ、黒い目を忙しなく動かしながら壁のタイルにぺたりと張り付いている黄緑色。
「え、カエルじゃん」
私が近づくと、素早くタイルを3歩ほど登って足を止め、短く瞬きをした。逃げ回ると思ったのに、案外落ち着いている。

目立つ色の身体は乾いた土で汚れていた。風呂場の窓も扉も締めていたはずなのに、君は一体どこから来たの。独りで紛れ込んでしまって、帰る算段はあるのだろうかと暫く見守っていたが、カエルはちっとも動かない。わかった、私が出してあげるよ、というか私も風呂に入りたいから出ていってもらわないと困る。

脱衣所の傍にある棚から使い捨てのビニール手袋を引っ張り出してきて装着し、身を屈めてカエルとの距離を確実に詰めていく。あとちょっと、そう、そのまま……一気に腕を伸ばしてカエルを手の中に閉じ込めた。
よしよし、これでもう大丈夫と息をついた時、今まで大人しかったカエルが四肢をバタつかせて暴れ始めた。甘く閉じた指の隙間から逃げ出そうとするので反射的に力を込めて手の中の空間を狭めるが、カエルはお構いなしで私の親指の付け根に脚を何度も何度も押しつけてくる。生きたいと、もがいている。
あれ、カエルってこんなに力強かったっけ。
感じ入ってしまう。擦れ合ってうるさく音を立てるビニール越し、しなやかに伸びて捩れる筋肉の束がありありと想像できるほど生々しい力強さが、私をめちゃくちゃに蹴りつけていた。
庭先の畑に放してやると、カエルはこちらを見向きもせず夜の景色へ消えていったのに、残された私はしばらく家の内へ帰れずにいた。

それからというもの、風呂に入れば四隅のタイルに目が行くし、畑の新芽を見るたびに胸のあたりがそわそわする。
「あの子、元気にしてるだろうか」
私は、あのカエルの子が残した力強さを未だに手のひらの上で持て余している。なににも還元できないまま、代わり映えしない日々をただ消化している自分に嫌気が差す。多分、あの子のほうが余程懸命に生きていた。
氷点下が続く今の季節、カエルは冬眠しているらしい。強くしなやかな脚を折り曲げて君が寒さに耐えているのなら、私だって少しは頑張りたい、頑張れる気がする。
「春」
花々が咲く頃に、またひょっこり起きてきて大地を躍る黄緑色。
どうせカエルが目の前に現れたってあの子かどうかも分からないくせに、それでも願ってしまう。

春になったら、
私の柔い肉を蹴ったあの子に会えますように。

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