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“日本最北端”への旅②―いざ、宗谷岬へ―

稚内の駅に併設された宗谷バスのチケット売り場で宗谷岬への往復券を購入(バスに乗ってから精算よりも往復券の方が10%ほど安い)したところで駅を出る。

すると、かつて稚内駅から先の港まで伸びていた線路が歩道に埋め込まれていた。かつてはその先の稚内桟橋駅まで線路が伸び、そこからサハリンへ向かう航路があった。その名残である。

カラーで撮るのもいいが、ここから先はかつての線路の名残、むしろモノクロ写真で撮る方が味が出るかも?なんて思い、モノクロで撮ってみた(そもそも、写真の腕を上げる方が先な気もするが、ご愛敬)。

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旧線を辿って防波堤まで行くと宗谷岬行のバスに乗り遅れかねない。なので、駅前にあった「ポケふた」のマンホールと駅舎だけ撮影した後、宗谷岬行のバスが来る1番乗り場へと行く。すでにかなり乗客がいる。やはり宗谷岬を目指す人たちが多数いるのだろう。

「ポケふた」も駅舎も、そして駅舎に併設されている道の駅も、すべてに「日本最北」がつく。稚内なのだから、当然といえば当然なのであるが、感慨深いものがある。稚内・宗谷岬へ行ってしまえば、今後、「日本最北」と名の付くところへ行く機会はかなり減るのだから、この感覚は大事にしなければならない。

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バス停の行列に早めに並んだのが良かったようで、進行方向左側の座席に座れた。左側であれば宗谷湾を眺めながら、宗谷岬へ向かえる。それにしても、観光客が多い。地元住民らしき人はわずか2,3人。宗谷岬へ行く観光客なしでは地元住民の足すら確保できない、そんな状況に陥ってしまっているように見えた。

バスの道中にあった声問の集落までは比較的栄えていた。しかし、その先の区間に入ると、人家は激減する。バス停の間隔も、鉄道の駅間のように非常に長い区間がある。小さな漁港と集落が点在しているくらいだ。その代わり、宗谷湾をじっくりと眺められる。さえぎるものもほとんどない。最高の眺めだ。

そんなバスを約1時間乗ると、日本最北のバス停「宗谷岬」へ到着する。到着時刻は14時10分。帰りのバスは14時55分発。滞在時間は45分しかないが、これに乗り遅れることは許されない。天北宗谷岬線の稚内方面の終バスなのだ。

もっとゆっくりしたいのだが、旭川から日帰りで公共交通機関のみで行こうとすると、今回のパターンしかないのだから仕方ない。仮に6時03分発の普通列車に乗ったとしても、乗れるバスは同じなのであるから、今回ばかりは仕方ない。また来ればいい。

宗谷岬の先端に立つ。比較的雲の多い空模様ではあったが、遠くにはサハリンがかすかに見えた。天候が良ければもっとはっきり見えたのかもしれないが、こればかりは運の要素も大きいから仕方ない。見られただけでも満足だ。

そして、日本から出たことがない私からすると、人生で初めて見る外国の領土であった。もっとも、ユーラシア大陸の剥片のような細長い島の先端部がかすかに見えているだけなのだけども…。

東を見ると、宗谷港とその周辺の集落が見える。思っている以上に大きな漁港が広がっているように見える。午後だからだろうか、ひっそりとしているようにも見える。

西を見ると、岬より若干北にあるように見える「岩」が見える。バスからもこの島は見えていたが、岬の先端に立った時でも北にあるように見える。調べると、この島は「弁天島」という。宗谷岬よりも若干北にある島のようだ。遠浅の海にちょっとこんもりと盛り上がった亀のような岩、なんともかわいらしい島であった。

一通り、岬の先端部を満喫した後、宗谷岬から道路を隔てて反対側にある丘へ向かった。丘の上には灯台があり、むしろ「岬」という感が強い。そして、何より見晴らしがすこぶる良い。

丘に立つ古い建物(大岬旧海軍望楼)の上から海を見た。この光景は非常に素晴らしい。ずっと見ていたくなるようなそんな光景だ。元々ここには国防のために待機している人々がいた。彼らは神経を張り詰めていなければならない日々であっただろうが、時にはゆっくりと日向ぼっこしながら、仲間と語らいながら、この岬から見える絶景を眺めていたのだろう。

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走行しているうちにバスの出発時間が近づく。バス停近くの店で記念品を買い、帰りのバスを待つ行列に並ぶ。乗り切れないことはなさそうだが、このバス停から乗り切れなかったら一大事だ。

14時55分発の宗谷バスで稚内へ戻る。「終バス」ということもあり、車内は当然、観光客で大盛況であった。次はいつ来れるだろうか。次来ることがあれば、最も厳しい冬の時期に行ってみたい。それこそまさに極北を味わうことになるだろうから。

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