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第1章「人生の転機になったいくつかの話」#10そして今、私は会社を辞めた

「無意味だ。と言うから無意味になる。
分かりません知りませんが定型文なら、その仕事は辞めよう。」


2015年3月
日本
もしも決めつけるとするならば、私はゆとり世代の魁。
良くも悪くも、ゆとりだからと言える世代。

社会人を通して学んだこと。
人の悪口と「面倒くさい」は糧にならない。
「あーあ、何やってるんだろう」、も遠回り。
「何をしよう?」、が大事。

そして、もう一つ気づいたこと。
はじめての会社でやりがいを見つけて突き進む人が最高にかっこいい。
私にはあんなにキラキラ輝くことはできなかった。
自分ができないことを乗り越えながら叶える、言いたいことが言いづらい社会環境でも、それをできている人、本当にすごいと思う。

なんでここにいるかわからないけど、とりあえず安定だしここにいる。という社会人生活。

 
安定って、なんだろう。
お金?人間関係?
心の安定ってできてるのか。 


何かを押し殺して生きていくことって、そういう場面は絶対にあると思う。
でも、それを開放する時間、それがないと、壊れてしまう。

私は、途中でさじを投げた。
自由すぎると言っていいほどの職場だったが、その分だれも教えるという作業はしてくれなかった。
してくれなかった。この時点で、その時の私は甘えの塊だと今本当に思う。

最初から向上心がなかったわけじゃない。
営業職で、企画したいこともたんと抱えて会社に通勤した時期もあった。
その向上心をどうやって育てるかがその時の私には解明できなかった。

そして、人のせいにしてさじをなげた。
尊敬できない、とか、意味ない、とか、先輩が言ってたから、とか。
それから、俺らの時代は、という言葉がトラウマになった。
俺らの時代っていつの時代。見栄を張るのに使える話。

ね、全部人のせい。毎日何したかも覚えてない。
自分をかわいそうな立場において、周りにいる素敵な支えさえも気づかないふりをして、怠惰に時間をすごした。
人の意見に左右されやすい人間は、自分の志がないと人のせいにしてしまう。
自分に非があるコトをなかったことにしてしまう。支えとなる言葉も聞こえなくなる。
振り返れば振り返るほど、それが自分自身だったということに気づく。

今考えれば、通ってよかった。
二度とあんな人間に成り代わりたくない。 


人のことばかり攻める人生の空虚さを知った。 

その道を通らなければわからないことがたくさんあって、最後には他社の方にも送別会をしてもらって、先輩にもうどんをおごってもらって。
どれだけの人に支えられていたのか。


終わった時に気づく、通過中は気づかない。


文句を忙しいのに笑顔で聞いてくれた先輩。展示会で1人そわそわしてたら助けてくれた他社の会社の方々。負のオーラばかり出していたはずなのに。
販促書を投げ返されてめっちゃびびったバイヤーさんも寂しがってくれていた。
試食販売で回っていた店舗のおじちゃんおばちゃん達も。
そして、退社する前に出会えた尊敬する副社長も。
本当に感謝しかない。


お世話になりました。

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