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私の20代に足りなかったもの

私の20代に足りなかったもの

だから何だ、と言える力。
何がしたいの?
何してんの?
太ったんじゃない?
いいね不自由なくて。

みたいな心ない言葉に

いちいち傷付いて。

だから何だ。己の探究心に嘘をつくな。

そう自分に諭すことが出来なかった。

そして、自分1人では、変えられなかった。

毎度毎度、どの記事でも、感謝することを大切にしている。

自分の感情に素直になることを、出会った人が教えてくれたから。

人に感謝するようになってから、素敵な人に出会えるようになったから。

人は、簡単には変われない。

一回言われたくらいじゃ、心には響かない。

耳にタコができるほど言われて、気付かされる。

多数の人に言われているのであれば、きっとその言葉が今の自分

30代になって、よく、

キラキラしてる

と言われる。

自分で言うと恥ずかしいし、自分でキラキラしてる、とは思わない。

でも、1人の意見ではなくて、よく言われる。

20代でキラキラしてるなんていわれたことない。

もし言われてたとしても、自分を卑下して聞こえてなかった。

言葉を素直に受け取る、発する技量がなかった。

それが、20代の私に足りなかったもの。
そして、足るに至る時期ではなかった、ということ。

キラキラって、お金があることでも、人より優位に立っていることでもなくて、

自分の目標が明確で、それに本気になっている姿

そういうことなのか。と気付かされた。

だから、他人にどう言われても、キラキラしている経営者はたくさんいて、自分のしている仕事に常にワクワクしているように見えるのか。

20代のワーホリ経験で気付かせてもらった自分の価値観の形成

大学生、カナダのワーキングホリデーで、(私が決めた理由#13 #22 他) 

住む世界は一つではなく、広い世界に生きる場所はたくさんあるという発見をした。

会社を退職した後の南米横断で、(私が決めた理由#9 ・#24 他)

仲間と助け合って、ひとつのことを成し遂げる素晴らしさを知り、​人生で初めての達成感を得た。 

オーストラリアのワーキングホリデーで(私が決めた理由#5 #8#7#6#20 #23 他)

1年目で本当に変わろうと思わなければ、いつまで経っても自分を解き放つことはできないと学び、

2年目で本気で悩んで苦しんで、もがいた先に見えた景色は美しいことを知った。

ニュージーランドのワーキングホリデーで(私が決めた理由 #3 #4  #15 #16 #17

また悩んで、傷付いたけれど、その先の景色を前に知ったから、諦めないで必死に前に進んだ。やっぱり、最後に見た景色は美しかった。

そして、30代になった

美しい景色と思い出は、自分1人では決して見ることが出来なかった。
私がこんなにも出会いに感謝するのは、本当に救われたから。

もちろん、変われたのは自分のおかげ。
自分の一番の理解者になり得るのは自分自身。

20代の時には、理解してあげようとせず、どうせ私なんかと可能性を潰すことに必死だった。


20代だけが人生の全てではない。これからも人生は続き、何が起こるかは自分次第。終わったとて落胆する必要は全くない。

しかし、20代で人生の何かを変える出来事に出会うと、たくさんの道を開拓し、選択肢が増えることは間違いないだろう。

年齢。気にしているのは自分だけ。
他人が気にしているのは比較している先にいる自分。

もし、私がまだ年齢を気にしていたら、見出しに、30代になった、なんて言わない。

何としてでもごまかす。バレたら、加齢だから色々無理だ、と言い訳して何もしなかっただろう。

ヨーロピアンの友人に感謝だ。(私が決めた理由#21)

人生の転換期はいつ掴むか、やってくるかはわからない

だから、これからは、もっともっと自分の可能性を探る努力を厭わず邁進する。

明日はきっと良い日になる
それでも良くならないなら、小さな幸せを見落としている
小さな幸運を集めれば、その日はきっと良い日なる。

そうじゃなければ明日に期待する。
どんな1日でも、一つは新しいことに挑戦してみる。

そう、乗り越えることで気持ちが軽くなることを知った。

平々凡々、特出した才能のない自分。学生時代万年赤点の落ちこぼれだった自分。
だからこそ、理解できることがある。
出来ないと落ち込む人に寄り添うことができる。
創造力・発想力・行動力

一つでも何かを始めていれば、あなたは平々凡々ではない。

そして、平々凡々な生活を維持するということこそ、重労働で、すごいことなのだ。

てか、平々凡々って何だ。誰が基準なんだ。

平々凡々でもありきたりだと思っても、思いついたらやってみればいい。
そこで人と比べたら、何も始められない。

20代前半の時の自分にもし出会えるならば、
それを毎日言いたい。

それは出来ないから、
今の自分に言い続ける。

そして、ありがとうとごめんなさいが言える人間になる

年齢を重ねれば重ねるほど言えなくなってくる

必要のない見栄にプライドという看板をつけているから、その看板を下ろすことが出来ず、頑なにありがとうとごめんなさいを言えなくなる。

人が輝いてることを素直にすごいと言えなくなる。

それは信念ではない。

人と比べるがゆえに出来上がる嫉妬心。

プライド、とは誇り。

全ては、もう戻りたくない20代前半の自分へ伝えたかったこと。(私が決めた理由#10

そして、気付かせてくれた大切な人たちと、
自分に感謝。


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