第1章「人生が変わったいくつかの話」#5そして今、私はそんなことを考えながら、韓国人が経営する鉄板焼き屋と、他3カ所で狂ったように仕事をしている
「頑張れば報われる。それはあながち間違いではない。
そして、誰も見てくれないと思っていても、現実はきっと違う。」
2018年〜2019年
オーストラリア・パース
ワーキングホリデー2カ国目。
オーストラリアワーホリ2年目。
何度繰り返しても、新天地で落ち着くまでは難しい。
仕事を得るまで苦労した。
ここに来ると決めてから、絶対にすると決めていたこと
ホステルのレセプションジョブをゲットする。
今まで作ってはポイ捨てしていたToDolist。
人から見たらどうでもいい小さな目標。
でも気づいた。
人から見たら。
自分から見たら、
価値は違う。
そして、仕事と出会いはいつも運。
到着して2週間でホステルの住み込みでレセプションジョブを得ることができた。
その後、私に舞い込んでくる仕事はなく、一ヶ月宙ぶらりんだった。
自分に自信はなくとも、いつもすごいと思うことがある。
私はよくいい人に恵まれる。
ホステルのオーナーもものすごく良いマレーシア人だった。
つらいとき、たのしいとき、かなしいとき、1年間すべてのときに話を聞いてくれた恩人。
次に、またもやマレーシア人経営のラーメン屋で働くことになった。
二日酔いでめちゃくちゃでも、笑い飛ばしてくれるハッピーな職場だった。
どんなお願いも聞いてくれた暖かい職場。
さらに、韓国人経営の鉄板焼き屋。
大学時代の食器洗浄技術に物を言わせた。
トライアルの時点で即採用だった。
一生懸命仕事をすればするほど、みんなが見守ってくれて、暖かく迎えてくれた。
みんなに好いてもらっている。そう感じれる場所だった。
最後に、やりたかった場所に飛び込んだ。
キッチンポジションだったが、念願のローカルカフェの仕事を手に入れた。
辞めたくなった。何度も。
でも、3ヶ月目から変わってきた。
スタッフが総入れ替え、雰囲気もガラッと変わった。
見えていなかった世界があった。素敵な仲間ができた。最後は達成感であふれた。
そして、4つ仕事をして気づいた。
一生懸命すれば、みんな答えてくれる。と。
私は人に左右されやすい。
だから日本には帰れないと思った、
ブレない自分を持つまでは。
そう思ったのに、日本以上に断れず、働き続けた。
でも、よかった。
すべて自分の意思で辞めたくなかった。
2度とあんな忙しい日常には戻りたくないけれど、決して忘れない日々。
ね、恵まれてる。本当に感謝しかない。
そして、ふと気づくと、オーナーは全員外国人、
私は毎日英語を話す環境を手に入れていた。
机に向かわずともみんなが英語を教えてくれた。
今、あなたがいるその環境は、きっと恵まれてる環境なのかもしれない。だって、ずっとそこにいることができる安定した環境をもっているのだから。
違うなら、辞めればいい、その世界が全てではない。
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