老いの特性
「老いる」「歳をとる」というのは、一体どういうことなのでしょうか?
定年から老後へと向かう私にとって、その定義はハッキリとしておきたいと
思っているのですが、ずっと先の未来に老後を迎える「老前世代」の皆さんも、この機会に一緒に考えてみませんか?
そんなことを考えていたある日、偶然に興味深い本に出会ったのでした。
『自分に見捨てられ、言葉に見捨てられ、世間から見捨てられるというのが、老いの特性です』
そんなかなり絶望的な定義を私に授けてくれたのは、池内紀さんの『すごいトシヨリBOOK』(毎日新聞出版)という本の中の一節でした。
さらに池内さんの文章は、次のように続きます。
『だから、その中で自分の知恵と工夫を発揮して、自分の世界を作っていくしかありません。これは、自分が加齢していくことを認めない、「アンチエイジング」とは違います』
私は、自分の加齢の兆候を「ハッキリと認識したその日のこと」を、よく覚え
ています。それは次のような、東京虎ノ門病院でのやり取りの中での出来事です。
「こうなったら早く手術をうけた方がいいですよ…」
悪いことは重なるものです。ようやく前立腺ガンの放射線治療が終わってホ
ッとしたのも束の間、今度は突然右目の網膜剥離に見舞われたのでした。
「ん?なんか目の中に墨を垂らしたようなものが広がって見えるぞ…」
明らかに右目の様子が変でした。慌てて近くの眼科へ飛び込むと網膜剥離
が起きていて、そこから出血してそう見えているのだと、説明を受けました。
ちなみに状況はあまり良くなく、「すぐにレーザー手術をしましょう」とのことで
、右目の網膜にできた穴をレーザーで塞ぐ手術を受けたのですが、それからしばらく経つと、今度は「東京タワーが歪んで見える」ではありませんか。
その時までの私は、正直ガン治療まで受けておきながら、自分の体が年齢相応に老化してきていることへの「本当の自覚」が、まだできていませんでした。
そう自分の体老化への認識には、頭の中での「思い」と「実態」との間には相当ギャップがあるのです。前述した池内さんからは、次のようなことも学びました。
『用の終わった人に時間を割くわけにいかない。そこまで言わないだけで、他人は当然、 無用の人間として扱うわけですから、過去がどうあれ、肩書きがどうあれ、実態はもう無用のものです』
そして「ああ、これが老いなんだ」と、見極めればいいのだと池内さんは結んでいますが、なんとも悲しい結論です。
ちなみにここまで読み進められた「あなた」が、そんな「無用の人間」となる入り口に立っているとしたら、あるいは「近いうちにそうなる」のだとしたら、あなたならどう反応するでしょうか?(そんな池内先生の言葉に感謝しながらまとめました↓ ぜひご一読ください)
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