森永卓郎さんを偲んで
森永さんの訃報を目にして、今朝から一人静かに心の中で手を合わせております。
彼とは過去に一度対談する機会がありました。かれこれ20年以上も前のことですから、おそらく彼自身は覚えていなかったかもしれませんが、それはとある新聞大手A社が企画したものでした。
「思いのほか(梅森さんは)マトモな方なのですね」
これはその対談が終わった直後に私に向けて彼が放ったセリフなのですが、森永さんにまつわる思い出はと言うと、私にとってはこれに尽きます。
「何言ってんだ、そりゃそうだろうよ」
と、その時の私は心の中で独言していたものですが、彼がそう言い放ったのには実はそれなりの理由があったようでした。
どうやら対談を企画したこのA社、事前に「やたらクビにしたひどいヤツがいるらしい」「ついてはそいつの口から何か面白そうな言質をとってくれ」と頼まれていたようなのでした。
それが残念(?)なことに、期待に反して私があまりにまともだったので、つい彼の口から出たセリフが冒頭の、この「思いのほか…」となったらしいのです。
ちなみにそのせいかどうか(たぶんそう)、その対談記事は私の記憶では「ボツ」になったようです。
なにぶんその当時は沢山の取材と対談をこなしていたのでハッキリと覚えてはいないのですが、何しろ対談終了後に見せた「とてもガッカリした様子のA新聞記者」が見せた表情だけは、いまだにハッキリと覚えているのでおそらく間違いないと思います。
「ああ、彼(森永さん)も思いのほかマトモな人なんだな」
当然のようにこの私にしても、彼(森永さん)に対してそういう印象を抱いたわけですが、残念なことにそれ以降は特に交わることもなく、今朝の訃報に接してしまったのでした。
ちなみに、私の近著(↓)をご一読された方はご存知の通りいくつか、彼の著作の中から引用させていただきもしました。また引用こそしなかったのですが、実は個人的にとても印象に残ったくだりにも接したこともありました。それは彼がお父様の赴任先で出会った「異文化衝突」、直截に言えば「黄色人種いじめ」のくだりなのですが、私にはとても心が痛むものでした。
おそらくこれをお読みの帰国子女の皆さん、並びにたとえば赴任先・旅行先で味わった「差別」に傷ついた方も少なくないと思います。幼き森永くんが経験したものは、その後もずっと忘れることなく残っていたのだなと、その文章を目にして気づきましたが、またそれも私の彼に対する好印象を形作る一つの材料でもありました。もちろん彼の主張の全てに同感しているわけではないのですが、少なくとも彼は「まともな方だった」ことだけは自信を持って言えます。
実は彼と私は同い年です。昨年亡くなった山崎元さんも、最近ガンに罹患していると告白された山田五郎さんも同い年です。ご想像の通りとても心寂しいものです、同年代の少なくとも一度は交流のあった方々が亡くなる、もしくはガンに罹患したという話を見聞きするのは。
あらためて心からお悔やみ申し上げます。またいつの日かあの世で、ぜひ「まともな対談」をしたいものです。ではその日が来るまで、しばしのお別れです。
ゆっくりお休みくださいね、じゃ、また……。