「定年」できません。
ちょ、ちょっと待って、たしか本のタイトルは「いたしません!」のはずでは?
でも正直言って「年金だけでは生活できない現実」がある以上、さらにその「年金だけ」すらも期待できない多くの現役層の皆さんに向けて、この「できません」はある意味「その通りです」と認めざるを得ません。
ここであえて「できない」と「しない」の違いに触れるとしたら、「わたし」は毎日苦しいと感じている年金生活に、時に不平・不満を口にしながらも「それでも何とか生活はできてますよ」と、「ただ傍観しているだけの生活」なんてもとより「する気もない」のです。
そんなわけで「わたし」の場合は「できません」ではなく、積極的に「いたしません!」と言うことになった、と言う訳です。
そうは言ってみたものの、なにせサラリーパーソンは人(会社・組織)に雇われてナンボの職業ですから、それがままならない現状においてこれから「一体どうしたらいいものか……」。なので、実は次のような「定年アナリシス」をしてみました。
一つは「定年」退職時の生活水準に比べて、「より低いレベルに適合しやっていこう」と苦渋の決断を決めたケースであり、その反対に「定年退職時の生活費と同等、もしくはそれ以上の生活をする」と、いわば「より自然な結論」に基づいて考えてみるケースがあります。
たしかに、国にしてみても「ない袖(年金)は振れない」とするならば、あとはこれから受給する年金支給額の手取り範囲内で、さらに足りない分は「退職金」ないしは「その他」で補填しながら、そのやりくりが続く範囲内で生活をし続けるしかありません。
ちなみに本書で触れたように、もしも手取りの年金支給額だけで生活しようとすると、「わたし」の場合は一日あたり数千円の範囲で「全てを賄う」ことが求められます。
もちろんそれは、前述した厚労省の調査結果が示すように、半数以上の「あなた」にとっては「理屈の上では可能なのだ」そうですが、ハテ、本当にそれはミッション・ポッシブルなのものでしょうか?
ここで問題点となるのは、実はそのような生活を「あなたが出来る・出来ない」にあるのではなく、むしろ「その生活、本当に望んでいたものですか?」という、根本的な「ポスト定年問題」部分にあります……(づづきは本書↓で)