息子の4歳の誕生日前にバースレビューをしてみたら、より愛おしく迎えられそうな予感がする話
育児のnoteを書いています。それは私自身が「育児」から逃げ出したくなったことがあるからで。たぶん、産後うつっぽくもなっていたし。(かなりブラックに近いグレーゾーン)きっと、世の中にはそんな妊婦さんやパパ、ママがいると思います。そんな人のために、少しでも私の経験を知って「自分だけじゃないんだ」と思ってもらうこと。そして「どうにかなるかも」と少しでも希望を持ってもらいたいと思います。
という気持ちでこのnoteを書いているのですが、逃げ出したくなった時に出会ったサイトで「バースレビュー」という存在を知りました。私は時が経ってから、自分の出産について、振り返りを行ったのですが、もし、育児で何かモヤモヤしているのであれば、1人でこっそりとやって見ると、ちょっと自分を癒せるかもしれません。今回は、私のバースレビュー公開バージョンです。
私の出産経験は、遡ること4年前の出産前の緊急入院から始まります。
4年前のゴールデンウィーク、私は病院にいました。5月末出産予定にも関わらず、2月末から切迫早産の疑いのため、自宅安静にしながら在宅勤務という形で仕事は続けていました。しかし、産んでも良いとされる37週直前の36週だった4月末に大量出血をして、24時間点滴をしながら病院で過ごしていたのです。(人生初の24時間点滴でした)
お腹のハリが強く、お腹に圧力をかけるのも良くなく座る姿勢もよくないということで、ひたすらベッドで寝ながらテレビを見ていたっけ。心配で心配でしょうがなかったな・・・・しかし、37週に入ったあとは、先生たちが手のひらを返したように急に「お腹が大きすぎるから歩いて、陣痛が来るようにしてください。」と言われて、近所を歩くように促されたときは、いろんな意味でびっくりしたけれど。
そして、私のお産の体験は、いわゆる「安産」ではありませんでした。壮絶難産ではないもの、分娩室に入ってから4時間かかり、途中で陣痛促進剤を投与するような出産で、息子が生まれた時「おぎゃー」という産声は聞こえませんでした。
先生、助産師さんの「おめでとうございます!」という言葉だけで、私自身、長時間の陣痛とお産でもうろうながらにも「あ、これはヤバいやつじゃない?」と思っていました。しかし、残念なことに、ひどい陣痛と嘔吐(直前にたんまり夕飯をたべたため、消化不良)で分娩室に移動するときに、大事な眼鏡を忘れてしまっていたのです。私の視力は0.03と0.1が見えないド近眼なので、先生たちの様子がよく見えません。「ズズズズ〜」と吸引する音が聞こえたあとに「おぎゃ〜」と声が聞こえました。
「あ、生きていた。よかった・・・」そう思ったのを覚えています。
私の息子は、頭が見えてから、ずっと産道に引っかかっており、結果的に私は上向きではなく、体を左に向けて、自分の左足を自分で持ちながら産むという、超アクロバティックな形で産みました。しかし、長時間産道にいたせいか息子の口の周りは紫になっており、産まれた直後の夫との写真でも、顔全体結構紫です。1日保育器に入って、酸素濃度などを確認されながらモニタリングされていました。2日目からは通常モードで、3日目には出生時の体重に戻るという驚異の成長ぶりを見せてくれるのですが、当時は子供が産まれるまでは半信半疑だったことを覚えています。その後、母子手帳の出産の状態の記載を見た時に「新生児仮死→蘇生」って書いてあったのを見て、ああ、一歩間違ったら大変だったのね。と後々思ったのでした。
命は儚いものだ。そう思うきっかけは姉の死という経験をしていたからだと思います。私は3姉妹の次女として産まれました。姉は体が弱く、一方、妹はガキ大将のようにクラスの男の子達を引き連れるような活発な子供でした。その2人の間であり、2歳前に自ら「幼稚園行きたい。」と言い出すような、小さい頃は手のかからない良い子だったと聞いています。
私が12歳の誕生日を迎える直前、姉が急死しました。当時15歳。急性心不全。姉は4歳まで体が弱く入退院を繰り返していたそうですが、高校生だった姉は体育では参加できないこともあったようですが、普通に暮らしていました。そんな姉が突然、自分の前からいなくなるという経験をした私は、「人はいつ死んでもおかしくない」「命とは、儚いものだ。」という概念を植え付けていたのです。
妊娠中は「これが危ない」「これを食べると良くない」という情報を目にすることも多く、そして「流産の確率は30%」という情報を読んで「本当に自分の子供に会えるのか?」と信じることがなかなかできませんでした。妊娠したのは嬉しい。でも、本当に会えるの?ということで、準備するものも、結構ギリギリまで待っていた記憶があります。
そして、そんな息子がもうすぐ4歳になります。生後4ヶ月の時に、尿路感染症からの腎盂炎になり、1度5日間の入院とその後半年間フォローアップの月一の通院がありましたが、その後保育園に通ってからは、ほとんど休むこともなく元気に育っています。本当に感謝しかありません。
今、私の家には、歳をとっていくワンコと、どんどん成長する息子。なんか人生の対照的な状況を目にしながら、何も起こらない1日が本当は1番幸せなのだと思います。
息子の誕生日前の週末ですが、コロナとワンコの調子を考慮し、お出かけはできなかったけれど、それなりに楽しんでもらえたかな?誕生日当日には、大好きな電車ケーキをプロに依頼しているので、たくさん喜んでもらいましょう☆