『エックハルト説教集』について
読了してから随分と時間が経過してしまった
前回の聖アウグスティヌスより共感できる内容であったがキリスト教っぽくないなという印象も持った
旧約未読の素人のキリスト教のイメージであるが絶対的な存在があった時に聖書の文脈について精査すること自体が不可能なのではないかと思われてしまうためだ
それは神の御心は知り得ないのであるからどうせ考えたところで無駄であろうと
したがって言っていることをそのままの意味で受け入れる他に無いのではないかと思うのである
それゆえに仏教では方便を説くという事情からから分裂してしまったという経緯はまだ理解できるものの一神教に於いてカトリックだとかプロテスタントだかの差が生まれること自体は心底疑問に感じられてしまう
とはいえカトリックといえども政治と分離するとこなどできはしないであろうしどちらが歪められた教義であるのかについては難しい問題である
同様の理由から一神教に於いて神学などというものは成立し得ないのではないかとさえ感じられる
つまり複数の聖職者に対して同じ質問をした場合必ず同じ回答ができないのであればその回答自体の真偽を疑う必要が出てきてしまうと考えるためだ
エックハルトの思想は確かに優れたものであると思われるが聖アウグスティヌスとまるで同じかというとやはり時代の進行を感じるし異なりがある
一神教を知る方法は結局のところ自分で聖書を読む以外にないと思われ前述の両者のテキストはどこまでいっても思想書の領域であるかあるいは良く言っても精々注釈書であるという扱いをしなくてはならないのではないだちがろうか
新約聖書のみしか私は読んでいないが両者のテキストを読んで「聖書内にそんなこと書いてあったか?」と思ったのである
そのようにして解釈することが赦されてしまうのであればカトリックなどという権威は失墜し更に言えば何が正しいのか訳がわからぬこととなってしまいそれは最早神を忘却した人々のみが残るのみで厭うべき偶像崇拝の徒と化してしまう
というわけで私見としては思想としては優れているけどキリスト教かと言われるといやそれは警戒した方が良いということになる
このあたりがきっと一神教のジレンマであるし急所なのである
過去に2度この書籍は読んだことがあったが今回はこの様な感想を持った
もちろん著者の意図を完全に汲み取ったとは思わないし解説などについても100%の信頼はおかず翻訳上の問題も考慮はする