「我思うゆえに我あり」という有名な言葉があるわけだがこの言い分でさえも神に依存する形で主張されていると言うことは知らなかった 共感などはぜんぜんしてはいなかったものの高名な人物の言い分である以上強度のある根拠に裏付けられる言い分と考えてはいた なんでいつも神になってしまうんだろうかとても不満である 正直神疲れした この時代はそういう世の中だったんだろうけど信者でもない私からするとお腹いっぱい なので正直デカルトは凄い人なのかと聞かれると良くわからんなと 哲学を学ぶにはその前の
読了してから随分と時間が経過してしまった 前回の聖アウグスティヌスより共感できる内容であったがキリスト教っぽくないなという印象も持った 旧約未読の素人のキリスト教のイメージであるが絶対的な存在があった時に聖書の文脈について精査すること自体が不可能なのではないかと思われてしまうためだ それは神の御心は知り得ないのであるからどうせ考えたところで無駄であろうと したがって言っていることをそのままの意味で受け入れる他に無いのではないかと思うのである それゆえに仏教では方便を説くという
残念ながら日本の仏教徒は永遠に悟る事が出来ない 何故なら権力の構造のみがありグルを喪失したためである また戒律の権威によって悟りについて語る事さえ迂闊に出来なくなってしまっている事も一因である その結果為される努力と言えば言葉や動作、シンボルの意味を丸暗記する事になってしまった これは当然事相に重きを置く者であっても事情は同じことである どこまでもパターン化した人間型ゲシュタルトから抜け出すこともできず永遠と暗記することのみを繰り返している 結局のところ事相をやっているつもり
この書籍は『ta meta ta physika』で直訳では『自然的なものどものつぎのものども』でありむしろひねらずに直訳してもらった方が素直で分かり易かったのではと 内容としては以前の自然哲学に於ける不完全さの追求である アリストテレスという人は至極厳密に言語を選択する人物なのだろうことは書籍を見れば明らかである しかしそれゆえにそれ以前の思想の曖昧さが納得出来ず『形而上学』以前と以後に於いての思考的分断を生んでいるように思われる なぜなら曖昧さとはむしろ厚みと考えなくては
別に哲学者になりたいわけでもない自分にとっては洞窟の比喩だけ読んでおけば充分な内容だったなと 田辺元氏が最低限読むことを勧めている書籍でもなければ上巻で読むのを辞めているだろう 後書きにある様にプラトンにとって国家の善し悪しは大問題であったのでそこに重点が起きすぎてあると言うくらいに置かれておりその時点で置いてけぼりにされるしレスバにも辟易とさせられる ホワイトヘッドが西洋哲学の歴史はプラトンの多大なる解説にすぎないと言う様に西洋文明においては宝物の様な存在なのだろうが しか
※このテキストは働きたくても働けない等の事情を持った方や人権意識や道徳心の高い方にとっては不快な内容が含まれていますご了承願います まずは当然の事として働かないということに対しての罪悪感を乗り越えていく事が必要である なぜなら後ろ暗い気持ちを持っていては充分にニートを満喫する事ができないためである 働かざるもの食うべからずと言って人はそれを疑わない しかしニートは働くことよりも食うことよりもむしろもっと重要な事があると考える とはいえそもそもこの当たり前という枷が大問題で簡
今までちょくちょく覗くことはあったと言う程度のnote これまで自分で書こうと思った事など一度も無かったが 突如思い立って登録した かと言って何を書くのかと言えばただの僧侶の資格を持っているというだけのニートの日常にすぎない したがって有難いお話を聞きたいというニーズがあったとしてもそのニーズに応える事はできないだろう なぜならそれは私にとって何も楽しい事ではないからである 楽しい事だけするだなんてむしのいい話はないと思うかもしれないが しかし例えば楽しくもない仕事を我慢して