『省察』について
「我思うゆえに我あり」という有名な言葉があるわけだがこの言い分でさえも神に依存する形で主張されていると言うことは知らなかった
共感などはぜんぜんしてはいなかったものの高名な人物の言い分である以上強度のある根拠に裏付けられる言い分と考えてはいた
なんでいつも神になってしまうんだろうかとても不満である
正直神疲れした
この時代はそういう世の中だったんだろうけど信者でもない私からするとお腹いっぱい
なので正直デカルトは凄い人なのかと聞かれると良くわからんなと
哲学を学ぶにはその前の哲学を把握していなくては理解は難しいという主張が有るがだんだんと疑いの気持ちが湧いてきた
私はドゥルーズ哲学を理解したいと思い田辺元氏の提案する哲学史に於ける主要なものを縦断するようにして読んでいる
私が歴史上のキリスト教徒や教皇の振る舞いから一神教に対して不信感を抱いていると言うことも有るがそのような神ははたして本物かと言う問題を見ないフリしている様にしか思えない
神に足を引っ張られてむしろ我とは何かが分からなくなっている様な気配を感じる
キリスト教社会において全ては神と決定しており何をやっても出来レースになってしまうのだ
そしてそう言った超越的存在に甘えて楽な方楽な方に思考を進め拷問とも言える苦痛を伴う様な思考を放棄する
人の思考を奪う様な神を神として崇めていて良いのだろうか
私にとってそれはまるで素晴らしいものではなくむしろその対極にあるものとして感じられる
したがって神が人間に自由意志を与えたなどと言うのは偽りでしかなくまた支配者と奴隷の関係でしかない
デカルトに強く当たってしまったがこれは教会の欺瞞である
日本を見れば明らかであるが宗教と政治が関わるとろくなことがない
如何に信仰と政治を分離させるべきだと言ったところで所詮マスコミも野党もそれが腐ってしまった宗教であったとしても解体などはしない
野党もマスコミも所詮はそれらを批判できる様な団体ではまるでないのだ
それは未だに解体できないというか解体する気がないという現状を見れば明らかだ
そう言った意味で現代はその頃に比べてどうアウフヘーベンしたのか知りたいものである
過去の知識のない野蛮な文明と比べて現代は科学が進歩したなどと言うが神が科学に入れ替わっただけで何も変わっていないのではないか
いやむしろ悪くなっている可能性さえある
どこまでも物質主義になりそこで反作用的に生じる精神のか弱い悲鳴を正しいのか分からぬ怪しげな教義によって猿轡するそんな世の中なのだから