ただのごあいさつ
今までちょくちょく覗くことはあったと言う程度のnote
これまで自分で書こうと思った事など一度も無かったが
突如思い立って登録した
かと言って何を書くのかと言えばただの僧侶の資格を持っているというだけのニートの日常にすぎない
したがって有難いお話を聞きたいというニーズがあったとしてもそのニーズに応える事はできないだろう
なぜならそれは私にとって何も楽しい事ではないからである
楽しい事だけするだなんてむしのいい話はないと思うかもしれないが
しかし例えば楽しくもない仕事を我慢してまたそれをし続けて得たお金なんてものは全てが酒に変わるだけではなかっただろうか
少なくとも私はそうだ
我慢した分のストレスを発散するためには多かれ少なかれお金を消費する
それは資本主義の根本的な綻びだ
社会主義や共産主義なんてクソ喰らえとは思うが同時に2度にもわたって搾取される現実を鑑みるにマルクスの言い分はもっともなのである
結局大小の差はあれどストレスによる精神の不安定はお金を使う事でしかバランスが取れない
口当たりの良いほっこりするお話なんてものは自分が心底気持ち悪い思いをして話すにも関わらずそれに対して得られるものは尊敬だとかその程度のものだ
昔話をしよう
ある時「安心」について法話をする住職がいた
その話に檀家一同はほっこりする
しかし私は心底寒気がしたものである
なぜならこの住職は私にセクハラを加えてくる「安心」を人に与えるなどとは程遠い人格の持ち主であったからである
所詮口ではなんとでも言えてしまう
良い話をする人物が良い人だという保証は無い
結局私にとって法話なんてものは自分をよく見せるための小道具としか思えない
人に限らず世界は見えない部分によって支えられている
とは言え必要以上に良く見せる必要もないのではないかと思っている
残念ながら人は例外無く皆みっともないが別にそれでかまわないのではないか
私はこのnoteでみっともないニート生活の一部を暴露しようとしている
そこに花を添えるだなんて馬鹿馬鹿しいとは思わないだろうか
人に良く思われる事なんかよりも自らのみっともなさを自覚する事の方が何倍も重要だと思う
取り留めのない話になってしまったがそういう事なので気が向いた時に読んでくれたら幸いである