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ネパールの村で感じたこと
お久しぶりです。
新年度が始まり、新たなる仕事に就きました。日々仕事に追われる毎日ですが、僕は元気です。
もう2ヶ月以上も時間が経ってしまい、インド・ネパールで感じたことが徐々に薄れてきてしまっていますが、ノートやメモを見て思い起こしながら、ブログを書きます。
ただ、今回の旅でいつどこに行って何をしたかとかそういった日々の詳細については割愛して、僕が強い”何か”を感じた場面のみを取り上げます。
では早速、今回のタイトルにもなっているネパールの村で感じたこと。
それは、よく聞くありきたりな言葉。
“simple is best”
ネパールの村の暮らしはまさにシンプルそのものだった。
泊めていただいた村は山の中腹にあり、標高で言えば約1300メートルくらいのところに位置している。
約5年前の震災により被災した村。
コンビニ?スーパー?レストラン?何それ?ってな具合に何もない。
生活に欠かせない水も自ら汲みに行かなければ手に入らない。
IH?ガスコンロ?いやいや、かまどが1つあるだけ。
電気も部屋の電球を1つ使えるくらいで夜になれば静寂な闇に包まれる。
無いものばかりだから同様に“ムダ”も無い。
汲みに行くのが大変な水は無駄遣いできないし、食べ物も豊富にあるわけじゃないから無駄に捨てるようなこともしない。余すことなく全てを使い切る。
例えば、トウモロコシは乾燥させて粒を挽いて粉末にする。それを元に食べ物を作ったり、お酒を作ったりする。残った棒の部分はかまどにくべて燃料として使う。
いらない物を排除し(というかそんな物は元々ないけど)、必要な物を必要な分だけ使う。余ったら貯めたりおすそ分けしたりして生活する。
以前にも述べたように、ネパールには独自の暦があり、その暦によるとネパールは2076年の世界。
“未来の国”ネパールの村ではムダなくシンプルに、けれど力強く、幸せに暮らしていた。
そんな村でお母さんが作ってくれた「ダルバート」。
「ダルバート」とは、言うなればネパールの「味噌汁ご飯」である。カレーとみそ汁の間みたいな感じ。※もちろんネパールに味噌はない
色々なスタイルのダルバートがあるが、泊めていただいたお宅でいただいたのは豆のスープと副菜にジャガイモなどの野菜の炒め物が一品ついていた。
日本でいうところの「一汁一菜」に近い感覚である。
豆のスープを少しずつご飯にかけ、手で食べる。副菜も混ぜながら食べ進める。
具材やスパイスも豊富じゃないから、限られたものしかないけれど、これがめちゃくちゃうまい。
お米をたくさん盛られてもスイスイ食べ進めることができ、余裕で完食。
日々の生活もダルバートに使っている具材もどシンプルなのに、なぜこんなに美味しいのだろうと考えた結果、オーガニックとかそういったことも理由として挙げられるだろうが、もっと大事なのは“素朴さ”ではないかということに行き着いた。
毎日が同じルーティンの中で、具材も特に代わり映えしない。お肉を食べることもない。でも、そんな中で日々食べられる味にしなければ、いずれ飽きが来てしまう。
そうすると、満足に食材や調味料を得ることができないので、作れる料理がなくなってしまう。それでは困る。
だからきっと、この”素朴さ”の中には、毎日の生活を送るおじいちゃんおばあちゃん、子どもたちに「ご飯を食べて元気に過ごして欲しい」という母の“愛情”もスパイスとして入り込んでいるのだろう。
今まで様々なカレーを作ってきたが、いろんな具材やスパイスを使って“自分が作って面白いカレー”を作ろうとしていたが、ごちゃごちゃしたカレーになってしまっていたなということにハッと気づかされた。
でも、このダルバートを食べてからは、もっとシンプルに、ムダなく、“毎日食べてもらえるようなカレー”を作ろうと決めた。
食べてくれる人たちに愛情を受け取ってもらえるようなカレーがいいなと、気づくことのできた良い経験であった。
それはきっとシンプルでムダのない生活や食事を体験できたからこそ気づけたことだったと思う。
ぜひ、僕の新しくなったカレーをご賞味いただければと思います。
”simple is best” 以上。
家の子たちとの写メ
トウモロコシの作業
差し出された採れたてのハチの巣。かじったけど、吐いた。
タメルにある人気レストラン。タカリ族のダルバート。
山の麓のレストランのダルバート。