【ヤンキーくんvsネットヤンキーくん 超後編】12月号
真冬の寒波と、不良たちの影に身を震わせながら1週間が過ぎた。指名手配は今も続いており、未だ僕はお尋ね者のままだ。登下校には常に細心の注意を払い、わざわざ遠回りをして小学生と同じ通学路をつかっている。
あの平穏な日常はもう戻ってこない。
しかし、そんな状況に際して不幸中の幸いと言える事柄が2つあった。
1つは、その年は学年内に「森」の名を冠する生徒が、僕を含め4人在籍しているという『キセキの世代』だったことにある。期せずして彼らは、この情報戦におけるチャフ(レーダーを妨害するやつ)の役割を担ってくれたのだ。
指名手配が始まった翌日の休み時間、さっそく他クラスの女子生徒が2人、教室にやってきた。そして彼女たちは、僕が指名手配犯の正体だと知るや否や「この森か!」と言い放った。
どうして彼女たちがこのようなリアクションに至ったのか。それは4人の森のうち2人が、同学年で知らない者はいないほどの癇癪持ちだったことに起因する。彼女たちは、指名手配されているのがその2人のどちらかだと決め打ちしていたが、どの森も一向に罪を認めようとしないので、しばらく森の中を彷徨っていたようだ。
それがあまりにも迅速な訪問だったので、僕は当初、彼女たちが組織から差し向けられた刺客ではないかと勘繰っていたが、どうやら杞憂だったらしい。むしろ、校内でこの件を知る者のほとんどがその2人を疑っている、という有益な情報を教えてくれた。とくに片方の森のファーストネームは僕と同様の音読みなので、より複雑な情報撹乱を引き起こしたといえるだろう。
他の森からすれば風評被害も甚だしい限りだが、まさに木を隠すなら森といった環境だった。
そしてもう1つは、校内で最も有力な人物を味方につけることができた点にある。
前述のとおり、我が校には不良こそいないが、不良グループと交友をもつ男が1人だけ存在した。その名をソラティンという。(当時はジャスティン・ビーバーの国内ブーム黎明期だった。)
ソラティンとはクラスこそ違ったが、幸いにも僕は彼と同じ小学校の出身で交流があった。
そこで昼休み、僕はソラティンのもとを尋ね、建設的な交渉をした。それは、とあるブツを渡す代わりに、情報の提供と僕の弁解を計らってほしいというものだ。正直なところ、敵に回られるとかなり厄介なので、中立の立場をとってもらえるだけでも御の字なのだが、思いのほかソラティンはその申し入れを快諾してくれた。
後日、僕はソラティンをトイレに呼び出して混じりもの無しの厳選した遊戯王カードを渡した。こうして、僕はソラティンの買収に成功したのである。
奮闘の末、なんとか校内の不安要素を減らしていくことには成功したが、やはり当面の課題は塾だった。複数の中学校から生徒が一同に会する塾という場はまさに戦場。僕にとっては戦地に赴くのと同義だった。
加えて、僕が通う塾は一般的な塾と比べても多分に不安要素を孕んでいた。
ビル一棟をまるごと占有するその塾は、受験シーズンということもあり、同学年だけでも生徒数は優に200人を超えていた。とはいっても不良が塾に通うとは考えられないし、生徒はクラスごとに振り分けられるので、はじめこそ疑心暗鬼になって萎縮していたが、徐々に無害な空間と再認識することができた。
そう思ったのも束の間、塾内テストが行われることが決まった。それ自体はさして気に留めるほどでもなかったが、問題はその後だった。すべての生徒を大教室に集め、成績上位者をフルネームで発表するというのだ。
当時の僕はそれなりに勉強ができたので、この品性のかけらもない下劣な催しを開催直前に知り、血眼になって塾講師のもとへ駆けた。僕がこの塾に通っていることを知られると、不良たちが強襲や待ち伏せを仕掛ける可能性がある。
すぐに僕は、名前を呼ばないよう塾講師に耳打ちした。この際、理由も話しておくべきか迷っていると、その思考を遮るように「入ってないよ」という返答があった。まもなくして、僕は塾に行かなくなった。
〜エピローグ〜
あれから月日は流れ、僕は高校生になった。塾に行かなくなった弊害か、滑り止めの高校を1つ落としてしまったが、不良が誰一人としていない、それなりの高校に進学することができた。
結論から言えば、僕は不良たちに捕まることなく越冬することができた。それは一重に、教師陣の活躍によるものが大きい。のちにKと同じ中学校に通う生徒から聞いた話だが、相手方の教師が直々に不良たちと話をして、事件を解決に導いてくれたらしい。我が校でも僕のせいで学年集会が行われたが、あちらの学校でも学年集会が開かれていたようだ。他校の関係のない生徒のために尽力する教師という存在に、最も敬意を抱いた瞬間だった。
ほかにも、ナオキンマンと呼ばれる他中の白髪の不良と側近の黒人が、僕の通学路で待ち伏せしているという情報をソラティンが教えてくれたりと、少なからず遊戯王に助けられた局面もあった。
そんな危険と隣り合わせの日々を生き抜くことは僕ひとりの力では到底、成し得なかったことだ。我が校の生徒指導の教師、他校の生徒指導の教師、遊戯王の生みの親である高橋和希さんに感謝を。
そして、この素晴らしき日常に愛を込めて。
おしまい