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わたしの家族

パニック障害やその他の病気、6年選手だ。
今と1年目に比べれば、ものすごい進歩をした、と思う。
家族には感謝しかない。以前書いたかもしれないが、初めの1ヶ月は外に出られない、薬の副作用で、ご飯も食べられなかった。何かっちゃ過呼吸だった。意に反して過呼吸だった。我慢しても、どんなに食いしばっても泣きながら過呼吸になってしまった。
その度にダンナや娘、息子は背中をさすって「大丈夫だよー」と声をかけてくれた。指の指紋が擦れてなくなるんじゃないかと思うくらいに。

3ヶ月くらい経って1人でゴミ出しに行った時には家族みんなで喜んでくれた。
そこから少しずつ2週間に1回の病院通いが始まった。もちろん1人では行けないのでダンナが毎回ついてきてくれた。世界が変わって見えた。

息子はその頃、高校生で色々わがままも言いたかっただろう時期なのに、わたしがその時間を潰してしまった。娘は大学生で関東にいた、ただでさえ心細いのに、本当はわたしたちは心配で何度も行き来して安心させてあげたかったのに、逆に心配をさせてしまった。人生で一番楽しい時期にわたしのせいで弾けるような青春を邪魔をしてしまった、と後悔しかない。

ダンナには感謝しかない。わたしの病気のことをいっぱい調べすぎて調子を崩したり、仕事に遅れながらわたしの病院についてきてくれたり。
それを理解してくれた義父、義母にも感謝だ。

実家の両親も、心配してしょっちゅう島から出てきてくれた。
近くに住む兄は「今日はどう?大丈夫?」と言いながらひょろっと現れ元気をくれた。

わたしは、こんなにも心温かい人たちに包まれて愛されているのだ。と思った。そう思いながら、涙していたらやや過呼吸になった。

今考えると過呼吸三昧の日々も懐かしい思い出で、昨日の後悔、明日の心配などするものか。今ここにある今日を全力で生きたいと思った。

そんなことを思いながらこの日記を書いている。もう過呼吸にはならない。

(上の写真はどちらも頓服のお薬が入っています。右はネックレスタイプ。左はキーホルダータイプです、結構、助けられています)

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