結局何しに行ったんだっけ
昨日友だちから「なぁなぁリエさんが昔泊まったってゆーとった礼文島の宿って“桃岩荘“じゃなかった?NHKでやっとったんやけど、何ここヤバイ!ってなったんさ。」と連絡が来ました。
わたしがまだ21、2の頃の話ですが、一攫千金を狙って北海道に行っていたことがあります。人の話によると最北の島とも言われる“礼文島“に利尻昆布をひたすら干すという仕事があり、1ヶ月で100万ほど稼げると。今思うとそんな美味しい話はないのかなと思いますが、バカがバカに気づかなかったあの頃、わたしはもう飛行機に乗っておりました。行きの飛行機代に毛が生えたほどの所持金。到着と同時に住み込みで利尻昆布を干すつもりでいました。札幌でおり、宗谷岬までバスに乗り、礼文島まで船で渡りました。どの部分で一晩越したのか忘れましたが、船で知らないもん同士が広間に列になって寝るのはなんだか悪いことをしてどこかへ運ばれてる感覚になりました。
そして礼文島へ到着。観光シーズンということもあって浮かれた人間ばかり。こちとら出稼ぎじゃいとスタスタ歩いていると、「エーデルワイスを見に行きましょう!」と知らぬおばさんに誘われ、気がつけば一日中エーデルワイスを探していました。頭ではずっと“エーデルワーイスエーデルワーイス♪“が流れとても優雅なハイキングでした。
そんなことをしていたもんだから1日出遅れ、住み込み昆布バイトは明日へ持ち越し。とりあえず宿を探し一泊。そしてその宿で知ったのです。今年は不作のため利尻昆布を干すバイトはないということを。意気揚々と家を出発した手前そんなすぐには帰れない、というかお金ない。とりあえず仕事探さねばと昆布は諦め島のスーパーへ。住み込みで働かせてくださいとレジで頭を下げたけど、うちは仕事ないからダメだけど配達の車に乗せてあげるから民宿回ろうと言ってくださり一軒一軒お願いして回ったけどどこもダメで、とうとう見捨てられ歩いて港へ。港で働くお姉さんに仕事くださいってお願いしたらすぐ電話をかけてくれ、一軒働かせてくれるって!と民宿を紹介してくれました。なんとかなるもんだなと、お世話になる民宿へ。そこではお爺さんとお婆さん、シーズンだけ手伝いに来るという娘さんに、フラッと毎年やってくるというお兄さん(かっこ良くはない)の中に入れてもらい、部屋の掃除や宿泊客のご飯の準備をし、夕飯までの時間はフリータイム。その散歩中に見つけたのが“桃岩荘“という宿でした。一回は体験してもいいんじゃない?と島のひとに言われ、どういうことだろうなと一泊外泊させてもらうことに。
まず宿に入るなり“おかえりなさーーい!“と大声で出迎えてもらい、(初訪問です)できるだけ部屋に篭らずみんなのいる広間に来るように言われます。そこでは手作りの歌を歌って踊ります。完全に宗教。そして朝は中華鍋とお玉を持った宿の人が廊下を爆走しながらカンカンカンカン起こします。そして宿を出るときは“行ってらっしゃーーーい!“と旗を振って見送ってくれます。戦争にでも行くのかと思いました。
ほとんどの人が毎年泊まりに来るらしく、人気の宿だそう。泊まった晩、バイクで一人旅をしていた女の子に“わたしは無理だ。“と告げると、“わたしも無理だ。“と言ってました。あんなに安堵したことは未だかつてあっただろうかと思います。
住み込みさせてもらってる宿に戻り、ここはなんていい宿なんだと泣けてきました。でも皮肉なもので、わたしの思い出にあるのはお世話になった民宿ではなく“桃岩荘“。
ボランティアで毎年桃岩荘に働きに来てると言っていた長髪の兄ちゃんが修行僧のように廊下をダダダダダダと雑巾掛けしていたのが昨日のことのように思い出されます。
人にはその人の居場所というものがちゃんとあるなと思いました。
1ヶ月たった頃、次は富良野に行こうとお世話になった宿(名前を忘れた薄情者)に別れを告げ港へ行くと小さな祭りが行われており、きっとゲストであろう永六輔が船でやってきたところに遭遇しました。
わたしの礼文島の思い出は、エーデルワイスと桃岩荘と永六輔です。
りえ