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#80 さらばイスラエル!南方陸路国境から第11ヵ国目、ヨルダン入国‼︎(🇮🇱→🇯🇴)
7/6 エルサレム出発→エイラット〜アカバ間国境越え
ホステルのキッチンにセットされているコーヒーに砂糖を半スプーン分入れて、寝起きの一杯とする。今日はイスラエルを出国し、南方の国境を越えてヨルダンに入国する。ちなみにイスラエル・ヨルダン間を陸路で通過する場合、三つのルートがある。北から①シェイフフセイン橋②キングフセインブリッジ(アレンビー橋)③エイラットアカバボーダーだ。
なぜ今回最南の国境越えを選んだかといえば、簡単に言えば事前ビザが不要で、かつ出国税が一番安いからである。イスラエルとヨルダンは現在でこそ安定しているものの、数十年前までは第一次〜第三次中東戦争で領土を争っていた国同士だ。その時の遺恨が元でいまだ領土画定に納得しておらず②のキングフセインブリッジを超える際には事前ビザが必要だったりするので、今回比較的簡単な③のエイラット〜アカバボーダーを選んだというわけである。
午前8時半エルサレムセントラルステーションに向けて出発する。最寄りのトラムで一回乗車5.5シェケル(¥213)を機械でチャージした。ステーションに着き、手荷物検査機にバックパックを通して入場する。エルサレムからエイラットまでのチケットを取ろうと受付に向かったのだが、パソコンが動かないとかで予約できず、とりあえず運賃分のチャージだけしてくれた。エイラットまでおそらく70シェケルのはずだが、80シェケルと言われたのは謎である。次のエイラット行きのバスは10時で、あと一時間ある。座って待っていたところに、「あなたもデッド・シー(死海)に行くの?」とサングラスをかけた中年の女性が声をかけてきた。「いえ、エイラットまで行きます。どこから来ましたか?」と問うと、インドの出身だという。しかし自分は彼女のそばにいた8歳くらいの女の子が気になった。完全なアジア顔だったからである。そしてその子はまさかの日本人だった!
自分から「こんにちは」言うと女の子も照れ気味に「こんにちは」と返してくれた。一瞬、何でインド人の中年女性と日本人の女の子が一緒にいるのか疑問に思ったが、そのあとすぐに若いお父さんがやってきた。日本語で挨拶すると驚いていた。イスラエルで会う日本人は少ない。インド人女性がいる手前を慮ってか、お父さんは英語で会話を続けた。
「旅行中ですか?」「はい、世界一周しています。イスラエルが10か国目になります。」
「世界一周?!」「そうです。一年間。」
「一年間?!どんな国を旅してきたの?」
結構驚いていた。話を聞けば、ヨルダンからイスラエルへ入国したらしく、このインド人女性がホストしてくれているのだという。そうしているうちにお母さんもやってきた。お母さんの方は一際英語が流暢だった。
そして、「ペトラ遺跡へ行くなら、水とスナックと帽子、日傘も持っていくと良いよ〜!日影がそんなにないからね。私たちは時間的に5時間しか滞在出来なかったから、観光ポイントをしっかりマネジメントして行ったけど、一人旅なら自分自身で決めれるから隅々まで観れるはずだよ^_^」
と英語でアドバイスをくれた。
そして素敵な日本人家族4人とインド人女性は486番バスに乗り、死海へ向かって行った。素晴らしい一期一会だった。
9時半になるとかなり人が集まってきたのだが、一つ不安に思うことがあった。自分以外はチケットに座席番号が書かれた予約票を持っている。まさか、自分が購入したこの紙ではダメなのか?
不安に思ったので乗客の一人に聞くと、「egged(バス会社)のサイトから予約したかしら?」
「...いや、してません」「席が埋まっちゃうかもしれないから予約した方がいいわよ」「オッケーありがとう」
急いで受付で予約できるか聞いたが、予約カウンターは10:15にならなければ開かないという。10時出発なのに。もうこうなったら運転手に直に乗せてくれるよう頼みこむまでだ。
予約している人から結構な人数がバスに乗った。最後に残って運転手に直接お願いすると、ぎりぎり席が余ったので、予約がなかった自分も座ってよいとの許可が降りた。良かった一安心。
走り出してすぐ、窓の車窓を眺めていると、壁で分断されたユダヤ人居住地とパレスチナ人居住地の貧富の差が、一目で見て分かる場面に再度出会した。すごく複雑な国だと思った。
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バスは死海沿いを南に走り、エンボケックとデレクエインの二箇所で15分間のトイレ休憩を挟んだ後、約4時間半かかってヨルダンとの国境バス停に到着し、自分とカップル2組だけが降りた。我々は進んできた国道90号線を離れ、国境検問所へと向かった。
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気温はすごく高かった。エルサレムよりも数段違う。風も熱い。例えるならドライヤーの中にいる感じだ。200km南に来るだけでこれほどまで違うとは思わなかった。そして、これが本当の中東かと肌レベルで感じた。
まずイスラエル側の出国手続きをする。自分の前には一人しか先客はいなかった。まず出国税115シェケル(4465円)をカードで支払う。そして残っていた現金74シェケルをヨルダンの通貨に両替してもらう。11JD(ディナール)になった。レートは悪すぎだが、ヨルダン側でタクシーに乗らなければいけないので取引した。
出国税、両替が済んだら、自動パスポート検査機にパスポートを当て、写真撮影。するとピンク色のカードが出てくる。これが出国スタンプの代わりである。手荷物検査があるかと思いきや、完全スルーだった。「出入国審査、世界一厳格」の姿はそこにはなかった。
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気を取り直してヨルダンの入国審査。どこへ行くか、何日滞在するかの2問だけ聞かれた。最後に審査官のジョークなのだろう、「この写真は...君か?」とボケてきたので、思い切り笑ってやった。スタンプを押されて第11か国目、ヨルダンに無事入国した。🇯🇴
ここで注意しておくことがある。イスラエルの出入国スタンプは押されていないが、ヨルダン側のスタンプが押されたことにより、イスラエルに滞在していた証拠が残ってしまう為、イスラエルと敵対しているアラブの国々(リビアやスーダン、シリアなど)は入国拒否されることになるということだ。行く予定のある人は気をつけて。飛行機で出国するなら問題はない。
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さて、この国境からアカバの街まではタクシーを使わなければならない。定かではないが、軍関係のエリアだから徒歩での移動は禁止されているとかの噂がネットに転がっていた。料金は公式に決められていて、街までは11JD(2236円)と高めに設定されている。
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自分はセルビアから来たカップルに声をかけ、「街まで一緒にシェアしない?」と声をかけると、彼らもそう思っていたらしい。街中のバスターミナルまで一緒に行くことにした。
タクシーからはアカバの街が一望できた。10分ほどで到着し彼らと別れ、今日のホステルへと向かった。
チェックインはアフリカ系の家政婦さんがしてくれたが、金額が間違えていたようで、後でオーナーの奥さんに差額分を現金で渡しておいた。中国の若者三人組が共用部で座っていて、互いの身の上を少し話した。
さて、現金は何かと必要になるので、キャッシングをしにいかなくてはいけない。調べるとヨルダン・クウェート銀行のATMが手数料無料ということで、そのATMが入っている高級ホテルに手荷物検査をして入り、70JD(約14000円)を引き出した。イスラエルでは、その物価の高さゆえに、外食という外食はできなかった。今日くらいは奮発しても良いだろう。地元の食堂を見つけチキンライスを頼んだ。価格は3.5JD(約700円)。すごいボリュームで来てテンションが上がった。アテネ初日以来、3週間ぶりのレストランでの食事だった。
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夜、ネザーランドから来た25歳のイケメンと話す機会を得た。彼は彼女と一緒に旅をしてすでに一年が経とうとしているのだとか。メキシコからスタートし、南アメリカの国々を歩き、マレーシア、ベトナム、カンボジアと物価の安い国々を回って来て現在ヨルダンにいる。これからエジプトに渡ってお国に帰るそうだ。
自分は彼に一番聞きたいことを聞いてみた。すなわち、
「一年間世界を旅してきて、物事の考え方や自分の中で何かしらの変化はあったか?」と。
自分は彼の答えを知りたかった。自分より先に旅に出た25歳の先輩が、世界を回りながらどんなことを見て知って、そして感じてきたのかを聞きたかった。
彼は言った。「自分の中が変わったということはなかった。ただ、違う国をたくさん見る中で、それぞれの特徴や違いを見れたことが面白かった。」と。
これが彼の答えだった。
やはり旅を通して、根本的な何かが変わるとか、自分の性格が変わるとかは無いのかもしれない。しかし、世界で起こっていることを自分の目で見てくるということについては、何物にも代えがたい経験になるということ。これは間違いないようだった。
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