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【92日目】知らぬが仏

ご隠居からのメール:【知らぬが仏】

小説とドラマは主題のしぼりかたがちがう。小説では、秋山真之は当初から陸軍に旅順港に砲弾さえ落としくれたらと嘆願してはいない。戦争をしているうちに、海軍がその戦略的重要性に気がつき、陸軍に要請したのだ。

児玉源太郎が乃木将軍に代わり指揮を執るため満州鉄道に乗ると車窓から、日本軍人の墓標が無数に建てられており、児玉源太郎がこれから激怒したというシーンは小説にはない。

激怒したのは、佐藤鋼次郎が、「陛下の赤子を、陛下の砲でもって射つことはできません」と言ったの対して、「陛下の赤子を、無為無能の作戦によっていたずらに死なせてきたのはたれか。・・・・・・」と叫んだときだ。乃木希典、伊地知幸介、豊島陽蔵、佐藤鋼次郎などの判断ミスにより多くの犠牲者をだしたことを酷評したのは事実だと思う。

もっとも、事実と小説はちがうだろう。作者の主観が入るからだ。無能と酷評された参謀たちの子孫は小説を読んでどんな反応をするだろう。「坂の上の雲」四には、当時大尉であった佐藤清勝(のち中将)が「予が観たる日露戦争」の著者として紹介されている。

「佐藤斎藤馬の糞」といわれているほど、佐藤姓の子孫は多いが、豊島家の信安さんが佐藤鋼次郎の養子になったのではないかという仮説はあり得ると思うーーなどと書くと、ゲスのかんぐりだと、徹さんに言われるかな。

「勝って兜の緒を締めよ」ーーとともに、「知らぬが仏」という諺も思い出した。御先祖様のファミリーヒストリーも知らないほうが御先祖様を仏様として敬うことができるという意味なのかもしれない。


返信:【Re_知らぬが仏】

たしかに、知らぬが仏かもね。自分が社内報をつくっていたときに大切にしていたのは、「誰にどのように思ってもらいたいか?」ということだった。

そこで、「社員やその家族に喜んでもらう」「100人いたら主役とその周りにいる10人に喜んでもらえば良い」と、社員一人ひとりにスポットをあてたヒーローインタビューを掲載した。パブリックに考えている人からは、批判されたが、それはそれで会社が大切にしていた、「目の前の人を喜ばせる」象徴的な文化になったと思っている。

坂の上の雲は、司馬遼太郎が、誰に、どう思ってもらいたくて書いた小説なのかわからないが、司馬遼太郎のなかに正義があったのかしれない。ファミリーヒストリーも、誰に、どう思ってもらいたいかが大切な気がする。

もちろん、子孫は誇りに思い、その時の判断を悔むかもしれないが、少なくとも、「自分は何のために生まれ、生きているのか」という疑問を解消するきっかけになった。

しかし、いち家族の出来事を公に発表するのであれば、大義名分が必要になってくるのだろうね。サザエさんやちびまる子ちゃんのように、普通の生活に幸せを感じさせるのか。フランダースの犬やハイジのように、優しさや哀れみから人を尊ぶことの大切さを伝えるのか。

戦国時代に敗れた「尼子の落人」のように先の大戦で「朝廷」も「軍人」も「日本国民」も負けたことで、苦しみながらも、したたかに生き延び、いまの命があることを伝えるのか。

ウェディングプランナーのブログを通じて、パチプロのような、社会のはみ出し者が、普通の生活を勝ち取るためには、どの程度努力が必要かということを伝えるのか。。。

文章を書くには、意図があったほうが良いね。自分なりに考えてみようと思う。


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