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【23日目】亀尾神社

ご隠居からのメール:【亀尾神社】

 そうだ、亀尾神社だ。名前をすっかり忘れていた。井田氏が叔母さんの嫁ぎ先のでお祭りのときは泊まりがけで遊びに行った。Jが子供の頃、井田氏のコウイチという子が実家にやってきて遊んでいたが、今は消防署員になっている。

 歴史が古いのは氷室神社で、もう一人の叔母さんが嫁いでいる木村氏が氏子になっている。八幡神社の方が新しいのは戦国時代に尼子の落人とともにわりこんできたからだろう。

 新見庄は「生きている中世」と呼ばれているが、今や過疎が進行して、お祭りが実行できているかどうかもわからない。

 秋末という名(みょう)が、宮座の資料に残っているとは知らなかった。名(みょう)とは平安時代から中世の国衙領や荘園において徴税のために設けられた単位であり、名字と同一ではないが、やはり秋末を名字とする氏があったにちがいない。秋末氏の土地や山林が何らかのかたち長谷部氏に移ったとは想像されるが、証拠はない。

 長谷部家の隣家は松田氏だが、氷室神社で氏子である。仲村部落にも松田氏が三軒あった。そのうちの一軒の松田氏からは東大を卒業して、中央競馬会の獣医になった。隣家の松田氏の先輩は明治大学に進学し、広告会社に就職した。高卒で住友銀行や松下電器に就職した子もいるが、今は長谷部氏同様、後継ぎがいない。

 氷室神社では奉納相撲を興行していて、オレも小学校一年生のとき、相撲をとって、勝ったことがある。相撲は神事だ。

 松田が大原になったということはありえない。松田氏も大原氏も村内に存続している。隣家の松田氏にも高齢のおばさんが健在だと思う。


返信:【Re_亀尾神社】

これでひとつ謎が解けそうだね。お父さんの随筆にある「新見庄いきている中世」に記載のある田畠分布図に示されている秋末(長谷部)の土地。

地理的に秋末氏の子孫説があったけど、秋末氏は、氷室神社の氏子として平安時代から存在してるけど長谷部氏は、八幡神社の氏子のためご先祖さまではないことが推測される

氷室神社の氏子から、八幡神社の氏子に変わることも、なきにしもあらずだけど、流石に氏神様を変えるってことは、ないんじゃないのかね。また、八幡神社は、清和源氏、桓武平氏を祀ってるので、長谷部の先祖に繋がる。

すると、もうひとつ謎がうまれるね。「新見庄生きている中世」に示されている大原(松田)について。大原氏も氷室神社の氏子だから、松田氏については、先住民の可能性があるけど、八幡神社を勧請したのは松田氏なんでしょ?

松田氏も八幡宮の氏子だったの?


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