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【124日目】何故家を新築したのか
ご隠居からのメール:【 何故家を新築したのか】
與左衛門さんは、「何故家を新築したのか」という問いに対しては、家が古くなり、建て付けが悪くなったからと考えるのが自然ではないかな。ふつう、材木主体でつくられた戸建ての家の寿命は二十年と言われている。田舎の家はでっかい大黒柱を使っていたから、百年はもったかもしれないがね。われわれが知っている高瀬の家は、養女になったツネさんが5歳の頃だから、たぶん弥左衛門さんがまだ壮健だった頃だろう。
御先祖様の多くは比較的、長寿に恵まれているが、祖父母や曾祖父母と同居している期間は比較的短いのではないかな。むしろ信谷家のほうが子沢山だったと思う。信谷家は昔から女の子が生まれる率が高い。娘が三人いれば身上(しんしょう)をつぶすと言われていたが、そのわりに信谷家も長谷部家の勝治郎・ツネさんもよくがんばった。
今は信谷家だけが高瀬に存続しているが、現在六十代の当主清巳さんが引退したらどうなるか。なお、治恵さんや清巳さんの叔母さんであるツルヨさんは松田家に嫁いで、男の子を三人生んだ。長男があとをついだが、すでに故人になった。銀行員やサラリーマンになった次男、三男は帰農しない。長谷部家の場合は長男、次男だがやはり帰農できない。
自然に恵まれた環境での農業は安心・安全ではあるが、現金収入がないと暮らしていけない。子孫は都会でなんとかがんばって生きていく道を探すしかない。
返信:【Re_何故家を新築したのか】
「方谷入門塾」読了した。なかなか読み応えがある随筆だったが、これで1割くらい方谷さんの考え方を学ぶことができたかな。長谷部家の長男が三代続けて山田方谷について学ぶに至るのは、これも何かの運命でしょう。
ツルヨさんは、安次郎さんの娘さんになるのかな。いや、安次郎さんの次当主の娘さんか。どちらにしても松田家に嫁ぐとは、本当に尼子の血筋が濃い家系だな。ここまでDNAをつなぐには、ワケがあるはずだけど、その言い伝えが現代に伝説として伝わってないのは残念だ。
長州が倒幕を叫んでいたときには、関ケ原の後に毛利についていった長谷部の別筋は高杉晋作や桂小五郎と一緒に戦ったはず。当時、長州にお金があったのは、山中鹿之介の子孫、鴻池家のおかげだよね。すると、尼子の子孫がいなければ長州は、薩摩を通じて軍艦や鉄砲を購入することはできなかった。薩長同盟は、成立しなかったかもしれない。
かたや、我々のご先祖さまたちは、一途に尼子の血を脈々と繋いでいくワケだが、やはり、自分は、日南の日野がその謎を解くカギになるのではないかと、思ってしまう。
鎌倉時代、長谷部信連は、源頼朝より安芸国検非違使所に補され、能登国の大屋荘を与えられるが、伯耆日野から呼び戻されるときには、信連の兄である、三浦義澄のチカラが働いたのではないかと思っている。
そして、日野一族は、朝廷に仕える公家の一族だ。後醍醐天皇を支えた日野資朝。そして日野邦光は、石見国国司だったようだ。日南のある日野郡は、信連が流された時から、日野一族が収めていたと考えておかしくない。
すると、信連が伯耆で残した子孫である我々の聖母は、日野の女子ではないのか。というのが勝手に想像したフィクションストーリー。元々は、長谷部と日野の血を繋いでいたが、応仁の乱や戦国時代を経て尼子の血が色濃くなるが、高瀬と日野の婚姻関係は、友次郎さん、イシさん夫婦の時代まで続いた。