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【171日目】子宝石

ご隠居からのメール:【子宝石】

塩野義製薬の株価、7月22日の治験開始情報から上がり続けている由だが、ギャンブルの世界を卒業した今のオレにとっては別世界の話だ。

能登の長谷部神社には子宝石があり、石をさわった手に水をそそげば子宝がさずかるそうだが、福井からならともかく、高瀬や浦安からでは遠すぎるね。オレはすでに子宝に恵まれているから、これももう卒業したことにして、参拝しなくてもよいことにしよう。

子宝に恵まれない家は養子をとらなければ家の存続は不可能だが、養子をとれば一族のDNAの純度が薄まってしまう。逆に考えると、直系家族のDNAは純度が高いが、DNAの多様性を排除し、「自分とは何者か」を知る上で大事な情報を見失いがちだ。そのような視点の発見を「後日譚」のモチーフにしたい。

オレの書く文章の読者はきわめて少ないが、実は内なる読者が存在していて、「後日譚」を書けと内なる作者に促している。書けるかどうかはわからないが、たとえ完成しなくても、その方向へ進むのが宿命というものだろう。

伯耆に大原神社があるのに、長谷部神社はないね。大倉山あたりにはありそうな気もするが。

高瀬の氷室神社は、1600年(慶長五年)10月10日に備後国庄屋・伊田助左衛門が油野村三室の氷室神社から勧進したという情報は検証が必要だと思う。もっと古い時代ではないだろうか。高瀬の曹洞宗高林寺は高瀬の庄屋伊田氏が寄進したと聞いている。こちらは江戸時代だ。

神官の長谷部絢光あやみつの見方によれば、八幡神社は新しい神社で、氷室神社と亀尾神社が古い神社だった。


返信:【Re_子宝石】

伯耆に長谷部神社がないのは、神になるほどの実績を伯耆では残さなかったからかね。

長谷部神社で検索すると、能登、福井、東京(西多摩)にはありそうだ。群馬の高崎の愛宕神社には「長谷部義重よししげ」作の大太刀が奉納されている。信長や秀吉が愛用した「へし切長谷部」をつくった「長谷部国重くにしげ」はじめ、鍛冶職人として生き残った長谷部氏がいることは間違いない。

大原氏も色んな人がルーツを探している。大倉山近くに上菅大原氏の伝説も残っているので、つながりがあってもおかしくなさそうだ。

「自分とは何者か」を問うというのは大切だよね。現代のほとんどの日本人は、生まれて、基礎知識を学び、一定の経験を体験して死んでいく。

ごく一握りの人以外は、生前の思想を子孫に継承することができずにリセットされてしまう。

現代の人々は生きる意味を失いがちだ。人の役に立ちたいという思想や承認欲求を満たすことで何とか持ちこたえている。

そう考えると、ファミリーヒストリーは重要だ。薄っぺらい数十年の人生が何千年も続く家やDNAの積み重ねだということを知り、自分もその一端の役割を果たすために、その人の人生の基礎というか基盤を固めるものになるよ。

伊田氏の歴史も立派だね。庄屋として集めた金を神社を建てることで、地域住民に還元している。

しかし、神官の長谷部絢光氏は本でもだしているのかね。大倉山の伝説で長谷部元信の批判をしたり、八幡神社、氷室神社、亀尾神社の歴史まで語っているなんて、高瀬に近い人なんだね。


<<<次回の話【より道‐57】歴史が刻まれる辺境の地_ノスタルジーなひととき。

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