【13日目】養子縁組
ご隠居からのメール:【養子縁組】
今はそうでもないが、昔は家柄というものに価値があるとされ、結婚するときなどは重視された。関係者の中でもっとも家柄が高いのは豊島氏で、雲州益田藩の家老だった。佐藤徹さんの母博子さんと佐藤浩一さんの母信子さんは家老の娘だから、なぎなたで戦い、謡曲を趣味にしていた。
岡村氏は鳥取藩士の家柄で、士族だから、明治時代になっても家柄はよいとみなされた。吉田進さんが、金を払ってでも岡村氏の養子になったのは家柄の価値を認めたからだろう。
不思議なことに、岡村氏を名乗る人は他にもいて、こちらは軍人が多かったという。つまり、岡村氏には医者の家と軍人の家の二系統がある。進さんは医者の家に魅力を感じたのではないかと推察できるが、息子の素さんも孫の弘さんも医者にならなかったが、潔さんが岡村病院の経営に成功したから満足しているだろう。
長谷部氏は江戸時代には武士ではない。明治になっても平民の身分だったが、名字帯刀を許される家柄ということで誇りを持っていた。また、36町歩の山林を所有する資産家として一目置かれていた。父与一や叔父亀三は家柄に誇りを抱いていた。息子の文孝にはあまりプライドがないように見えるが、人としてのプライドは持っているかもしれない。
返信:【Re_養子縁組】
岡村氏は江戸時代に、鳥取城主の池田家の家臣としてに仕えていた士族だがら、お金を払ってでも養子になりたかったキモチはわかるね。すると、吉田氏は養子縁組のお金が支払えるくらい豊かだったということになるね。商いでもやっていたのかな。