【102日目】攘夷
ご隠居からのメール:【攘夷】
元治元年といえば、友次郎さんと安次郎さんが生まれた年だが、京都では禁門の変、長州では馬関戦争と日本人が攘夷を叫んで大騒ぎになった年でもある。備中では山田方谷でさえ攘夷を主張していた。水戸では天狗党が決起して武田耕雲斎を押し立てたが、京都で孝明天皇を守護している徳川慶喜に捨てられた。(立場上、見捨てざるをえない)。
勝海舟など一部の開国論者だけは攘夷なんかできるわけがないとわかっていたが、そこへ密航者の伊藤俊輔と井上聞多が帰国して、長州の藩論を開国倒幕の方向に向けることに成功して、流れが変わった。幕末の日本史はそこのところ(百八十度の価値観の転換)を理解するのが難しい。
昭和の日本史はノモンハン戦争の前後と終戦後の価値観の百八十度転換(天皇制国家主義から民主主義へ、そして朝鮮戦争勃発後の再軍備論へ)が難しいが、岸信介に着目すると、少しわかってくるような気がする。岸信介の部下には椎名悦三郎や大平正芳や長谷部與一だけでなく、あやしげな大陸浪人や馬賊もいた。彼のところには金が集まり、彼はマネーロンダリングをしたうえで、上手に金をつかい、権力と結びつけることに成功した。
井上聞多のやり方に似ているが、聞多のほうが脇が甘く、政敵から攻撃される隙があったので、一万円札にはなりそこねたのだろう。岸信介も一万円扎の顔にはなりそうもない。
一読して『坊っちゃん』は性善説、『羅生門』は性悪説の小説のように見えるが、作者はさまざまな仕掛けをしているので、見かけほど単純ではない。読者は坊っちゃんに共感するが、文学士赤シャツのモデルは、作者の夏目漱石で八十円の高級取りだった。当時、渋民小学校代用教員石川啄木の給料はわずか八円。
『坊っちゃん』には救いがあるが、『羅生門』は暗すぎて、救いがない。ところが、黒澤明監督の映画『羅生門』のラストは、捨てられた赤ん坊の産着を剥ぎ取って下人が行方をくらませた後、貧しい木こりが、「わしには子が六人いる。六人育てるのも七人育てるのも同じだ」と言って、赤ん坊を引き取る。映画のタイトルは『羅生門』だが、原作は『藪の中』だ。
弥左衛門さんについては、ゆき叔母さんが弥左衛門じいさんと親しみをこめて語ったことを覚えている。それだけの記憶を手がかりすれば性善説で、お人好しだったかもしれない。やはり、ファミリーヒストリーは他人が何と批判しようと。性善説でいくべきだろうね。そうしないと、身内の読者を満足させることができそうもない。
「家庭の幸福は諸悪の根源」と太宰治は言った。その説にも一理はあるが、やはり、正月の集いや家族旅行をふりかえってみると、「家庭の幸福」がいちばんだと思う。
返信:【Re_攘夷】
「戦争と人間」ようやく見終わった。日中戦争からノモンハン戦争に至るまでの流れをよく学ぶことができた。映画を見る限り、中国、ソ連にあれだけ大敗しているのにもかかわらず日本軍は、よく真珠湾攻撃をしたもんだと思ってしまう。
また、「野蛮な日本人」「愚かな日本人」戦勝国が史実を盛り込みながら巧みなプロパガンダだとも思えるシーンも多々あったが、これもアメリカや中国のとった、ひとつの戦後処理なんだろうな。
満州で影響力をもっていた人が、A級戦犯を逃れ戦後大成功した人がいるんだね。このあたりは、本当に隠されている。ただ、輿一さんは満州政治を間近で見ていたわけだから、色んなコトを知っていただろうな。でも、満州国の国務院、実業部で働いていたのに、蒙古聯合自治政府で働くことになったのは、何故なんだろう。ノモンハン戦争で負けたのであれば最前線になるもんね。
大陸浪人をしらべると「玄洋社」「黒龍会」「東亜同文会」などの右翼団体も出てくるし根深いところまでいきつくね。犬養毅も大陸浪人だったんだね。馬賊を調べると、張作霖も馬賊で、元々軍事制度がなかった中国は馬賊がやがて軍になっていった。中国の国民党と共産党の問題もありそうだし。
近代史を学ぶには、もっともっと勉強が必要そうだ。「ゆき叔母さん」は初めて出てくる人だね。信谷家のひとかな。ファミリーヒストリーは性善説でいきましょうよ。それがイイ。
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