【365日目】エンディングーー終点は浅草
ご隠居からのメール:【エンディングーー終点は浅草】
私は「終わりよければすべてよし」というタイトルの随筆で永井荷風の日記『断腸亭日乗』を紹介したことがある。勝手ながら、この「息子へ紡ぐ物語」のエンディングとなるべき終点にも浅草を選び、「終わりよければすべてよし」にしたいと思う。
「息子へ続く物語」は突然死した従弟の葬式を息子が手伝ってくれたことから、それまで父方と母方の親戚や先祖についてほとんど何も知らなかった息子がファミリーヒストリーへの興味を抱き始めたので、この機会に私の知っていることをすべてメールで伝えようと思った。
したがって、本来、身内の話にとどまるべき内容であるが、いつのまにかSNSで外部にも公開されるようになっていた。メールを交換しているうちに、伝蔵さんやふゆさんのように、それまで何も知らなかった先祖のこともわかった。この二人は、血のつながりもDNAのつながりもないが、間違いなくご先祖だと思う。
私は昭和三十七年四月、築地の水産会社で働くために上京してまもないある日、荷風さんに誘われて、築地から浅草まで散歩したことを覚えている。文豪永井荷風ではない。職場の先輩で、フランス語堪能、風貌が永井荷風に似ているところから、荷風さんというあだ名がついていた人だ。
築地から浅草まで徒歩で約八キロ、およそ一時間かかったと思うが、正確な時間は覚えていない。会社を退職してからは、もっぱら従弟のトオルさんと浅草寺にお詣りし、帰りに「飯田屋」でどぜう鍋をつついた。「飯田屋」は荷風の行きつけの店だった。トオルさんは自分が荷風とは感性が似ていると言ったことがある。
返信:【Re_エンディングーー終点は浅草】
不思議なご縁からはじまった、父とのメール内容を綴る「息子へ続く物語」は、今回で最終回となります。
振り返ると、世の中が変化するタイミングに、仕事での失脚や家族崩壊の危機が我が身にふりかかりましたが、この七難八苦を乗り越えるために、ご先祖さまが手を差し伸べてくださった出来事だったのではないかと思っています。
父が半生の時をかけて研究してきた、ご先祖様の活躍を題材にした随筆きっかけに、ご先祖さまや日本の歴史を学ぶようになりました。すると、いままで、本能に頼りきっていた人生から、思考することを意識できるように、じぶんが、変化したような気がします。
そして、じぶんなりに「人生の意味」を整理することができるようになったのが何よりもよかった。
コロナ前までのじぶんは、ある意味、お金に執着し、じぶんの存在やこころを守るために頑なになっていました。人に好かれるキャラクターを演じ、人生のスケジュールを思い描き、未来は、こうなるものだと決めつけていたようにも思えます。
大きく変化したじぶんは、ご先祖さまの集大成として、ロクデナシであることに誇りを持ち、聖人君子のように徳の思想を片隅に持ちながらも、人生を楽しいで埋め尽くしていきたい。そう、思うようになりました。
山中鹿之介のように、自ら「七難八苦を与え給え」とまでは、言えませんが、七難八苦は、生きていれば、誰しもに必ず訪れるわけです。
立ち向かうこともあれば、その場を迂回し縁をきることもあると思います。どちらにしても、じぶんのこころを許して「まあ、どうでもいいか」の精神で乗り越えていきたいと思います。
じぶんが終着駅にたどり着くまで、どれほどの時間が残されているかわかりませんが、「息子へ紡ぐ物語」も、浅草寺の片隅にある位牌も、ファミリーヒストリーを子孫へ紡ぐひとつの「かけら」です。
できることなら、この物語を終わらないでほしいと願っています。