見出し画像

【90日目】佐藤鋼次郎

今朝はOutlookを立ち上げようとすると、送信エラー(OX80040900)で、サーバーが正確かどうか、確認してください、となり、原因を究明したところ、ババが電源をきっていたがわかり、やっと送信可能となった。

與左衛門さんが、長谷部家存続の危機と考え、リスク分散のためとふゆさんの居場所確保のために信谷家をつくったという推理はあたっているかもしれない。今さらたしかめようもないが、喜代太郎さんの死後、伊曽さんを送籍にした処置は尋常ではない。

たしか万葉集で最初に出でくるのは雄略天皇の作とされる恋の詩だ。長谷部氏という姓を与えたという記述は古事記ではなく日本書紀に出ている。佐藤姓も古くからあり、現在の日本ではいちばん数の多い姓だ。左衛門尉の「佐」と藤原氏の「藤」を掛け合わせて名乗った姓とされている。


「坂の上の雲」五には次の記述があることを発見した。

(なんと無謀なことをいう人だ) と、砲兵中佐佐藤鋼次郎はおもった。(中略)大本営は、第三軍を編成するにあたって、砲兵の権威たちを乃木につけた。参謀長伊地知幸介少将にしても、砲兵科の出身である。また攻城砲の運用を組織的にやるため、それらをまとめて司令官のもとに置いた。第三軍攻城砲兵司令官豊島陽蔵少将が、それである。その豊島の下には、高級部員として、右の砲兵中佐佐藤鋼次郎がいる。ほかに若手の砲兵の権威が多い。(p99)

もしかしたらこの佐藤鋼次郎の息子が信安さんではないかという気もする。


返信:【Re_佐藤鋼次郎】

「坂の上の雲」からの推理、面白いね。佐藤鋼次郎さんの息子もありえると思う。コチラの推理も、旅順に従軍した佐藤さん。第3代広島市長は、「佐藤正」さん。軍人さんで陸軍大佐として日清戦争に従軍している。平壌攻略戦で負傷し少将まで出世した人みたい。

子供は、石川県の士族、中村家から0歳で養子にした清勝さん。佐藤清勝さんも軍人で旅順に行ってるようだ。この清勝さんの息子になったのではと予想したが、佐藤鋼次郎さんのほうが、豊島陽蔵さんに近く同じ「重砲兵監部」の少将。軍人として豊島陽蔵さんの後釜になっているので可能性高いかもね。

長谷部家は血のつながらない喜代太郎さんを24歳で養子にし日南出身の田村家からきた伊曽さんを嫁がせる。その後、子供ができないにも関わらず、喜代太郎さんが亡くなる12年間。長谷部家にいたというのもすごいね。

伊曽さんは、子供もいないし居場所もないので嫌気をさして出ていった気もするけどね。その3年後、恐らく輿左衛門さんが亡くなったのかな。左トさんと弥左衛門さんはようやく結ばれる。63歳と51歳で。。この時代でこの結婚はすごいことなんじゃないのかね。

そう考えると、友次郎と安次郎さんだ。同じ年に生まれ、分家したにも関わらず同じ「次郎」の名をつける。輿左衛門さんが命名したかもしれないが、
「なか」さんと「ふゆ」さんはきっと仲良しだったのでしょう。


<<<次回の話【より道‐30】人は死ねども刀は残る_白虎隊の脇差③

前回のメール【89日目】坂の上の雲>>>

いいなと思ったら応援しよう!