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【329日目】: 健康経過観察(二回目)

ご隠居からのメール:【健康経過観察(二回目)】

順天堂大学付属浦安病院呼吸器内科における第二回目の経過観察ーーレントゲン撮影と血液検査の結果、次の診断を下されたと知らされた。

・間質性肺炎の炎症は減少したが、まだ少しは残っている。
・脱水症状による腎臓と肝臓の症状悪化の兆候は見られない。
・咳ぜん息やアレルギー性鼻炎の症状に著しい改善は見られない。
・便秘の症状に著しい変化はない。
・肺炎薬プレドニン錠の投与量は2ヶ月かけて徐々に減らしていく。
・一時的に脱水状態になったため飲み水の摂取量は2/15以降一日2リットル以上とされていたが、3/7以降一日1リットル以下でよい。
・緩下剤の酸化マグネシウムは毎食後1錠服用するが、ピムロ顆粒(センナ)は3-4日に一錠服用とする。
・アレルギー性鼻炎薬のデザレックスと吸入薬シムビコートは一日一回服用し続ける。 

間質性肺炎はほぼ完治に近いと安心してもよさそうだが、ネット情報によれば、間質性肺炎はいちど罹患すると、呼吸機能がじわじわ低下する致死率100%の難病で、今すぐ死ぬわけではないとはいえ、五年後には死ぬのがふつうだという。

私としては余命五年もあれば、八十八歳、天寿を全うしたと納得できる年齢だ。最後は人工呼吸器で延命する必要はなく、亡くなる直前にだけ、麻酔薬による鎮静をしてくれればそれでよい。


長谷部信豊のぶとよという御先祖の存在はよくぞ発掘して、【より道-59】に紹介してくれた。たった二行の紹介だが、千金の価値のある情報だよ。建武新政権の評価は、土地の権利と年貢の配分をめぐる武士と貴族・寺社との身勝手な争いをどう見るかによって決まる。

1)皇国史観

南朝のために戦った楠木正成、新田義貞、北畠顕家を忠臣とみなし、武士の棟梁として足利幕府を開いた足利尊氏を逆臣とみなす史観。

神皇正統記

2)一所懸命のホンネ通りに動いた武士を支持する史観 

たとえば、吉川英治『私本太平記』。足利尊氏は武士の棟梁として気前よく土地を有力大名に与えた。その結果、佐々木氏、山名氏、斯波氏、赤松氏、細川氏、畠山氏、土岐氏、大内氏などが勢力を拡大したが、足利幕府の勢力基盤は弱体化した。

私本太平記

3)バサラ大名のしたたかな生き方を評価する史観

北方健二『道誉なり』。金持氏と長谷部氏は船上山の戦で頑張ったのに、あまり報われていないようだ。ノモンハンの戦でもそうだった。一族で少しでも報われたのは後年、上月城の戦に参戦した長牛之助だけかな。

道誉なり


返信:【Re_健康経過観察(二回目)】

順天堂の診察結果は、良好と捉えてよさそうだね。コロナ入院によって、身体の変化があるようだけど、後期高齢者。老化現象もありそうだ。八十八歳で天寿を全うするのであれば、大往生だね。限られた時間かもしれないけど、毎日楽しく生きていこう。近々実家に帰るよ。

我が家の「家系図」にのっている長谷部信豊さんは、船上山で討死したようだが、後醍醐天皇を隠岐から逃がしたり、挙兵するなどの活躍をした一族は、名和氏になる。名和長年に声をかけられ、金持氏と共に船上山にむかったのだろう。確かに、伯耆国日野の地から船上山は50キロほどの距離だ。

すると、鎌倉時代末期の伯耆長谷部氏は、楠木正成などと同様、「悪党」と呼ばれる、反幕府、反荘園体制行動をとっていた可能性もある。そう考えると、隣り合わせだった我が家の地に住んでいた、秋末名と重久名の年貢を納める領地の違いがあっても頷ける。



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