【329日目】: 健康経過観察(二回目)
ご隠居からのメール:【健康経過観察(二回目)】
順天堂大学付属浦安病院呼吸器内科における第二回目の経過観察ーーレントゲン撮影と血液検査の結果、次の診断を下されたと知らされた。
間質性肺炎はほぼ完治に近いと安心してもよさそうだが、ネット情報によれば、間質性肺炎はいちど罹患すると、呼吸機能がじわじわ低下する致死率100%の難病で、今すぐ死ぬわけではないとはいえ、五年後には死ぬのがふつうだという。
私としては余命五年もあれば、八十八歳、天寿を全うしたと納得できる年齢だ。最後は人工呼吸器で延命する必要はなく、亡くなる直前にだけ、麻酔薬による鎮静をしてくれればそれでよい。
長谷部信豊という御先祖の存在はよくぞ発掘して、【より道-59】に紹介してくれた。たった二行の紹介だが、千金の価値のある情報だよ。建武新政権の評価は、土地の権利と年貢の配分をめぐる武士と貴族・寺社との身勝手な争いをどう見るかによって決まる。
返信:【Re_健康経過観察(二回目)】
順天堂の診察結果は、良好と捉えてよさそうだね。コロナ入院によって、身体の変化があるようだけど、後期高齢者。老化現象もありそうだ。八十八歳で天寿を全うするのであれば、大往生だね。限られた時間かもしれないけど、毎日楽しく生きていこう。近々実家に帰るよ。
我が家の「家系図」にのっている長谷部信豊さんは、船上山で討死したようだが、後醍醐天皇を隠岐から逃がしたり、挙兵するなどの活躍をした一族は、名和氏になる。名和長年に声をかけられ、金持氏と共に船上山にむかったのだろう。確かに、伯耆国日野の地から船上山は50キロほどの距離だ。
すると、鎌倉時代末期の伯耆長谷部氏は、楠木正成などと同様、「悪党」と呼ばれる、反幕府、反荘園体制行動をとっていた可能性もある。そう考えると、隣り合わせだった我が家の地に住んでいた、秋末名と重久名の年貢を納める領地の違いがあっても頷ける。