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【205日目】金持村の女

ご隠居からのメール:【金持村の女】

「藤太郎実信」は、京の本妻(日吉社の娘=雅楽氏)の長男。だとすると、父の信連が鎌倉御家人として能登の大屋荘を知行したとき、能登へ同行するのが自然の成り行きだと思うが、信連が伯耆に流されたとき、伯耆にとどまって、日野厳島神社を勧請し、日野長谷部氏につながるということのようだ。一方、備後長氏は、「金持村の女」との子「良連」系統ということになるのかな。

次に調べなければいけないのは、長牛之助だね。牛之助は、上月城の戦で、尼子再興軍に参戦し、豊臣秀吉から感状をもらったことになっている。「尼子の落人」と称するひとつの証拠として。

そして、松田氏。隣の土地に住んでいる松田氏との親族関係が証明されれば、「尼子の落人」の真相につながる。伝蔵さんとツネさんとの養子縁組は、長谷部の血もあるのだろうが、あきらかに尼子氏の血を意識した縁組にみえる。


返信:【Re_金持村の女】

伯耆長谷部氏を継いだ藤太郎実信の母が日吉社雅楽氏であるのに対して、備後長氏が「金持村の女」を母とする「良連」系統だとすると、どちらにしても、日野を地盤にしていたということになるね。しかし、日野長谷部氏、備後長氏共に長谷部元信が自系統と主張しているわけだが、まあ、こればかりはほんとうのことはわからないね。

すると、西谷家の系統、「尼子の落人」がどちらの系統かというと、家系図では、日野長谷部氏系ということになる。まあ、お父さんの言う通り、家系図は、現代でいう、証明書として利用していたため、改ざんお手のものだろう。


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