【74日目】雑件いろいろ
ご隠居からのメール:【雑件いろいろ】
一 山椒魚の故郷
残部数が数十冊あることを確認した。みんな持っていって、在庫一掃に協力してくれ。
二 岡山県内田百閒文学賞30周年記念展
7月18日~9月26日に吉備路文学館で開催すると、岡山県郷土文化財団から連絡があった。当然『山椒魚の故郷』も展示されるはずだが、その他に岡山にゆかりのある執筆著作本があれば借用したいとのこと。まさか『回文俳句いろは歌留多』を提出するわけにはいかないが、もしかしたら「備北文学」のバックナンバーでもよいかもしれないと思い、次の13篇の出展を提案した。
「方谷塾入門」
「備北文学」
「備中人の風土的真実」
「新見太平記」
「尼子の落人」
すると、全部出品は難しいが、一部出品は可能とのこと。そこで、『方谷塾入門』は突貫工事で小冊子のかたちにまとめたらどうかという案も出てきている。その他3篇は、来年執筆する予定の随筆を加えて、別の小冊子にすればよい。どうなるかわからないが、進展があれば連絡する。
三 信谷氏の戸籍
柚木脇(旧姓信谷)治恵さんから信谷氏の戸籍を送ってもらった。それによると、次のようになっている。
・前戸主:信谷善右衛門 一代
・戸主 :信谷安次郎 善右衛門長男
元治元年三月八日生
・母 :ふゆ(安政六年(?)六月八日生)
本村長谷部弥左衛門三女**入籍
(**の字が読めない)
明治三十七年五月十三日死亡
四 推理
信谷氏との接点がついに見つかった。ふゆさんは弥左衛門さん(あるいは興左衛門さん?)の三女だが、長谷部氏側の戸籍には記載がない。安政六年という江戸時代に生まれたのでは無理もない。戸籍制度が実施されたのは明治五年。接点は見つかったが、新たな謎がいろいろ出てきた。今後は「ふゆ物語」の謎を推理していきたい。
五 金光教の道
インターネットの古本屋で伝蔵さんが表わした小冊子『金光教の道』を入手し、毎晩寝る前に一章づつ読んでいる。生きていく上でためになることばかりが書いてある。国会図書館にマイクロフィルムのかたちで保存されている『伝蔵しのぶ草』も読みたい。
六 救世軍
吉屋信子の小説『ときの声』(山室軍平伝)と三吉明『山室軍平』を借りるよう浦安図書館にリクエストした。参考になりそうなことがあれば連絡する。なお、岡村はるさんと伊丹喜久子さんは救世軍に入信していない。オレも生き方の参考にはするが、金光教の教団や救世軍の組織に参加するつもりはない。伝蔵さんや素さんが何を考え、悩み、何を心のよりどころにしたかがわかれば、それでいいと思っている。
返信:【Re_雑件いろいろ】
『山椒魚の故郷』は、5冊ももらえれば十分です。岡山県内田百聞文学賞30周年記念展の展示は光栄なことだね。タイミングがあえば、見に行きたいものだが、「方谷塾入門」もあるんだ、面白そう。
信谷氏の件は、やはり弥左衛門さんが関係してたねー。弥左衛門さんは、輿一さん並みに長谷部家の歴史を変えた人。破天荒というかスゴイ人なんだろうな(笑)。幕末の時代というのもあると関係してるとは思うけど。
【弥左衛門さん】
・27歳でふゆさん生まれる(なかさんの子?)
・33歳で友次郎さん生まれる(なかさんの子?)
・43歳で喜代太郎さんを養子にする
・48歳で喜代太郎さんと伊曽さんの結婚認める
・58歳で家督を喜代太郎さんに譲る
・63歳で左トさんと結婚する
ふゆさんは、三女だから、長女、次女のふたりは亡くなったのか、嫁いだのかな。。。ふゆさんだけ分家が許されるというのも変な話だから。。江戸時代だし3歳まで生き残るのは大変な時代でしょう。そして、信谷善右衛門さん。「信谷」という名は、長谷部一族が決めたとしても婿養子にできなかった。もしくは、しなかった人。そして、ここに喜代太郎さんが絡んでくる。
完全妄想ドラマだが、弥左衛門さんと左トさんとの関係を突っ込まれて、なかさんと離婚。ふゆさんの分家を承諾。なかさんは、子供たちを連れて、ふゆさんの旦那と信谷家設立。跡継ぎのいなくなった弥左衛門さんは、左トさんの弟である喜代太郎さんを養子にし、伊曽さんと結婚させ、相続させたが、喜代太郎さんが41歳の若さで亡くなってしまう。
困った弥左衛門さんは、友次郎さんを信谷家から呼び戻し、長谷部家の家督を継がせる。居場所のなくなった伊曽さんを田村家へ戻し、ほとぼりが冷めた頃、恐らくなかさんが亡くなったあとに左トさんと結婚した。
この物語の信谷善衛門さんは、、とりあえず、松田氏にしとこうかな(笑)。