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【26日目】歴史散歩上の発見

ご隠居からのメール:【歴史散歩上の発見】

松田誠保の妻が尼子政久の娘というのは歴史散歩上の発見だね。おかげで祖母「つね」を通じて、われわれにも尼子のDNAがつながっていることを確認することができた。

戦国時代から江戸時代、明治時代にかけて政略結婚、近親結婚が繰り返され、長子相続や養子縁組などにより「家」の権威が重視されたが、終戦後の民放改正によって、長子相続制は廃止され、養子縁組の事例は流行しなくなった。

佐藤家の養子相続のような事例は少ない。あれは時代遅れの特殊な事例だ。長谷部勝次郎とつねの夫婦養子は、「家」を存続させるためにやむをえぬ措置だが、三室の大原氏からつねを養女にもらう際には曾祖母「いし」の意志が働いている。

曾祖母「いし」は子どもに恵まれなかったので、実家(鳥取県福栄村井原の見田氏)の近親である三室の大原氏から養女をもらうことにした。その養女が祖母「つね」だ。見田氏にも大原氏から男の養子が入って相続したので、長谷部氏と見田氏は二重の縁戚関係となる。

我が家の隣人、福田さんは、見田氏の親戚であることがわかった。鳥取県から従姉妹が訪れたことがある。西谷氏は実家の近くにも一軒あった。


返信:「Re_歴史散歩上の発見」

福栄村は伯耆、日野郡。下榎からも近いし大倉山の麓にあった村のようだね。見田氏にも長谷部信連の血が流れてる気がするよ。

もしくは、長谷部元信となにかしら関係している可能性がある。長谷部氏は天皇から名をもらい名を守ってきたが、戦国時代の松田氏の勢力はすごかっただろうね。

(参考資料「松田家の歴史」)


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