【250日目】山中鹿之助の母
ご隠居からのメール:【山中鹿之助の母】
名将山中鹿之助を生んだ母は誰だろう。という疑問を抱いて、手元にある尼子関連小説で調べたところ、諸説ありで、はっきりしたことはわからない。どこの馬の骨か、鹿の骨かわからないのだ。
立川文庫『山中鹿之助』 相木森之助の妻更科
依田武勝『山中鹿之助』 相木美濃守信房の妻更科姫
松本清張『山中鹿之助』 中老山中幸重の妻
南原幹雄『名将山中鹿之助』重臣山中満幸の妻
南條範夫『出雲の鷹』 叔父立原源太兵衛の姉なみ
池波正太郎『英雄にっぽん』重臣立原源太兵衛の姉浪江
諸田玲子『尼子姫十勇士』 重臣立原源太兵衛久綱の女
山中氏を名乗っているが、幸重か満幸かもわからない。重臣立原源太兵衛久綱を叔父と呼んでいるので、母は立原氏の女だとしても、久綱の娘か姉かわからない。鹿之助は月山富田城下でスセリ姫の幼馴染だったという説もあるが、母が誰かは不明。
また、相木信房は信濃武田家の武将だが、一人息子の鹿之助は新宮党の山中家の養子になったという。これは、栗杖亭鬼卵の読本『絵本更科草紙』(1811-1821)に基づいている。
どの説を信じていいかわからないが、疑いようのない事実は、鹿ではなく、人間の女の腹から生まれたことだけかもしれない。
>>街のブランディングで「感謝溢れる街」をコンセプトに地方創生事業を
>>したら・・・ケンカも減る、離婚も減る、もちろん犯罪も減る。鬱病や
>>認知症などの精神疾患者も減る。街も綺麗になり、地域住民も増えるだ
>>ろう。
ーーまるで金光教の説く世の中が到来したかのようだが、もろ手をあげて歓迎。ただし、自分が感謝するのはよいが、お返しに他人から感謝されるのを期待してはいけない。
「忘己利他」(もうこりた)ーーその精神で、瀬戸内寂聴は99歳まで生きたが、前半生は「利己忘他」だった。人間のやることは矛盾にみちている。
>>最近は、ふだんの生活+インプット、アウトプットのバランスが丁度良>>い。
ーーそのペースを守って、ボチボチいこう。
返信:【Re_山中鹿之助の母】
山中鹿之助がこれほど忠義を尽くし尼子家再興に命をかけるというのであれば、やはり、尼子の血が流れているのだろう。スセリ姫が、塩冶興久の娘で、鹿之助と幼馴染だとしたら、尼子重臣の息子のはず。しかし、尼子家の家臣は、米原氏や立原氏、松田氏を含めて、家系を調べることすら難しくなっている。
我が家のご先祖さまが絡んでいるとすると、京極家の正室になった女子のながれなので、興久に関わっているのだろうか。先日も話をしたが、塩冶興久の名前は、今日に上洛した大内義興の「與」の字をもらったそうだ。
山中鹿之助が語った「我に七難八苦を与えたまえ」という家訓に、孫子の「三十六計逃げるに如かず」という教えを取り入れるとすると、八難九苦になったら「逃げろ」ということになるが、その判断は、とても難しいね。
「感謝の気持ち」をどのように「受け止めるか」ということに人生の、心の豊かさに差がうまれると思う。ご縁あって自分を支えてくれている存在は、すべての人に感謝しているが、なかには、それを利用して、傲慢に見返りを要求してくる人がいる。そういう人とは距離を置くべきだと思っている。
「礼」は与えられて、言葉にするものだけど、「仁」は与えるもの。八徳の順番で一番うえにあるのも「仁」なので、やはり、思いやりが一番大切だね。ただ、思いやりは「人の心を知って支える」という、高等テクニックだから、感謝するキモチを養うことで「仁」は培えることなんだと思う。
とはいえ、やりすぎにご用心。伊達政宗の五常訓も意識する。
自分の性分だと一度決め込むと、視野が狭くなるところがあるので、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という教訓を「息子に紡ぐ物語」の語録に追加したいと思う。
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