■【より道-9】神郷町大字高瀬
岡山県新見市阿哲郡神郷町大字高瀬
父である82歳のご隠居が育った故郷。自分が幼い頃は、毎年夏休みに家族6人で新幹線に乗り東京から4時間かけて岡山へ行く。そこからローカル電車に乗り換え新郷駅(にいざとえき)まで3時間かけて里帰りをしていた。
無人駅の新郷駅には駅開設の石碑が立っていて当時村長だった祖父の名が刻まれている。駅前からバスに乗り10分ほど経つとようやく祖父の家というか、長谷部家の土地に到着するのだ。
幼少の頃、祖父から「見渡す限りすべてが長谷部の土地だ」と教えられたことがあった。当時は、何のことだかわからなかったが、中年になったいまとなると、それはもの凄いことだなと思う。
隣の家まではかなり離れている。しかも、住んでいるのは、祖父の弟、亀三おじさんの家族だった。亀三おじさんは、太平洋戦争のとき予科連で特攻隊に所属していたと言ってた。出陣することはなく終戦になったそうだが、亀三おじさんは優しく男らしい人だった。
自分は、祖父が大好きだった。高瀬に帰るとトラクターに乗せてもらったり、畑になっているトウモロコシは食べ放題。キュウリやトマトも好きなだけ食べさせてもらった。必ず瓶の三ツ矢サイダーがあって、サイダーは飲み放題だった。
裏山にもよく連れて行ってもらった。たくさんの杉林がありチィエンソーで木を切る祖父をみて、カッコいいと思っていた。家のすぐ裏には川が流れており、そこらに生えている竹を切り糸と針をつけて、畑でみつけた大きなミミズを餌に魚釣りをした。
だだっ広い野原には牛や馬が放牧されている。「蹴られると危ないから近寄ってはダメだ」と言われていたので、馬や牛と触れ合うことは少なかったな。いつしか馬小屋はなくなり「さみしいな」と思った記憶がある。
楽しい思い出だけではなく、めちゃくちゃ怖いこともあった。それは、トイレ。小便をするトイレは室内にあるのだが、大便をするトイレは外にあった。それも、、ボットン便所だ。
夜トイレに行くことが、とにかく恐ろしいのだ。小屋の電気をつけると見たこともない大きな蛾や蜘蛛が「ここは、俺たちの縄張りだ!」と言わんばかりに陣地を奪い合っている。
虫たちがガサガサ動くのがメチャクチャ怖いのだ。虫がいるから身体を支える手すりも握れない。だから、ボットン便所の穴に落っこちてしまうのではないかと更なる恐怖が生まれてくる。そんなこんなで自分は、夜トイレに行かなかった。姉たちも心底嫌がっていたな。
そして、大人たちの飲み会も恐ろしかった。自分たちが高瀬に帰省すると、親戚中の人々が夜な夜な集まってきて、大騒ぎしながら飲みまくる。中年のオヤジとなったいまなら、楽しくその輪に入れると思うが、当時は酔っ払いたちに絡まれるのが怖くて襖をしめて子供たちだけで遊んでいた。
昼間、あんなに優しかった祖父も豹変して大声でなんやら話している。いま考えると、「大和の男」を象徴するような飲み会だ。
あとは、「ご先祖様が畳の下に眠ってるよ」とも言われたことがある。その部屋に布団を敷いて眠るのも怖くて怖くてしかたがなかった。
高瀬は、本物の田舎なので、夜はまったく光がない。それは、誰もがびっくりするほど。現在家族でキャンプをしに田舎に行くことがよくあるが、それでも街灯など、どこかしらに光があるものだ。しかし、高瀬には月と星の光しかさしこまない土地なのだ。
自分が14歳の頃に祖父が亡くなった。そのときに印象に残っているのは、テレビや漫画でオバケが頭につけている白い三角の布を頭に巻いて、男たち6人で棺を担ぎ土葬したこと。
そして、義理の祖母が壊れた腕時計を自分の手のひらに押込み握りしめ「お祖父さんの形見だよ」と渡された。それを見た母はメチャクチャ怒っていたが自分は、とくに気にしなかった。というか、祖父が亡くなったことを受け入れることができなかったのだ。
その後、義理の祖母も亡くなった。自分たち家族は、葬式にも行かず父だけが参列した。父は、長男だったので、見渡す限りの土地や山林を相続したが、一切の権利を放棄し義理の弟に全て相続した。争いごとの嫌いな父は、欲に負けない武士の精神をみごとに貫いたと思った。
それでも、中年のオヤジになった今となると、父の故郷に帰りたくなる。それは、自分のなかのDNAのなにかが騒ぎ出しているのかもしれない。
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