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【240日目】ノモンハン戦争に至るまで

ご隠居からのメール:【ノモンハン戦争に至るまで】

noteに掲載されている「ノモンハン戦争に至るまで」の草稿を読んだ。要領よくまとめていると思う。しいていえば、「青島や南太平洋諸島におけるドイツの権益を武力で奪い取り、さらに・・・」というような文案の追加挿入の可能性を検討してほしい。

「対華二十一カ条」の要求と日英同盟の廃棄、そして国際連盟の脱退は、結果的に見て日本外交史上の大失敗だと思う。

諸田玲子『尼子姫十勇士』では、尼子再興軍が出雲へ出陣するにあたり、隠岐島へ寄港して情勢を見きわめるか、隠岐島へは立ち寄らずに上陸してしまうか、ふたつの意見が対立した。

つまり、隠岐為清おきためきよを味方とみなすか、敵とみなすか、という問題である。軍議が開かれるところへ、松田兵部丞ひょうぶのじょうという旧臣が飛び込んできた。なんと隠岐島から小舟で海を渡ってきて、「隠岐為清は毛利の手先。信用ならぬ」と言った。

兵部丞は、その七年前に、戦わずして毛利に降伏している。尼子から毛利へ、毛利から尼子へ、さらに毛利、そしてこたびはまたもや・・・・・・振り子のように毛利と尼子を行ったり来たりする男の言葉など信じられようか、油断をするなと、再興軍ご意見番の尤(もっとも)道理之助は説いた。

松田兵部丞は松田誠保まつださねやすのことと思われるが、尤道理之助などというふざけた名前の人物は何ものか? しかし、松田誠保が尼子から毛利へ、毛利から尼子へ行ったり来たりしたことは事実のようだ。

今月中に浦安へ来る件、了解。日程が決まったら連絡してくれ。


返信:【Re_ノモンハン戦争に至るまで】

「息子を紡ぐ物語」を通じて書きたいことは、これから、徐々にまとまってくると思う。勤務先は、「人の心を、人生を豊かにする」という使命のもと、精神的豊かさを追い求めてきた企業だ。人の人生は一度しかない。四人にひとりは結婚せず、結婚しても三組にひと組は離婚する世相だ。

転職も離婚も将来のことを考え、「意思」を固めれば、簡単にできる。それは、必ずしも悪いことではない。ただ、一度は、その会社で、そのパートナとで「成功」し「幸せ」になると誓ったわけだがら、若かりし頃にも、「意思」を固めたのだ。

時が経てば、考えも変わるのかもしれないし、人格も悪い方に変わるかもしれない。なので、毎日の徳の積み重ねが重要なのだろうな。それを理解し、精神的豊かさを手に入れることができるのは、七難八苦を乗り越えた結果なのかもしれない。色々なケースを想定して、現代版の「徳目」の実用書があればいいのに。

ファミリーヒストリーは、スピリチュアルな領域で、「先祖崇拝」の考えも含んでいるから、うまく取り扱わないといけないな。嫌いな人は嫌うだろうから。

先日妻に、「母親にとって、子供が男の子二人じゃなくて、(男と女)で良かったね」と言ったら、「私は男の子二人を育てる器じゃないから、男の子と女の子が生まれたのだと思う」と言っていた。近くで見ている夫としても、納得する言葉だった。

「子は、天からの授かりもの」というが、やはり、大きな流れというか、きっと不思議なチカラがあるのだろうなと思うよ。

「ノモンハン戦争に至るまで」については、たしかに日英同盟のことと、第一次大戦で便乗した話を書いた方がいいね。しかし、青島や南太平洋諸島については、よく知らなかった。ドイツ領侵攻の話は他の話に打ち消されているね。ちょと勉強してみる。

「尼子姫十勇士」は、よく調べられていて面白そうだ。ますます興味がある。松田誠保は、毛利だろうが、尼子だろうがどっちでも良かったということだね。でも結局は、尼子氏の嫁さんもらって尼子傘下になったとという話か。背後には日御碕(日置)の勢力があったのかな。



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