【125日目】想定外のサプライズ
ご隠居からのメール:【 想定外のサプライズ】
漫画しか読まなかった息子が「方谷塾入門」を最後まで読んでくれるようになるとは想定外のサプライズ。そもそもこの随筆が冊子になるまでの経緯をふりかえると冊子化それ自体が奇蹟に近かったので、余計に「運命」を感じる。そうなると、欲が出て、将来、孫が読んでくれることを期待したくなるが、それは自然にまかせよう。無理強いはよくない。
作者としては、「方谷塾入門」の次作「尼子の落人」の構想をいろいろと考えるのが楽しい。これはファミリーヒストリーだが、「文学とは何か」という若い頃からのテーマを追求する側面もある。
若い頃から、世界文学全集をよく読んでいたが、「そんなものは読まんでもいい」と與一さんはいいたげな苦い顔をしていた。口に出して言ったこともある。父は実学の人で、フィクションには興味を示さない。しかし、山田方谷は「文学」によって松山藩・板倉勝静にとりたてられ、あれほどの実績をあげたのだ。そう考えると、父と子は方谷の「文学」を通じて、和解することになる。
ツルヨさんは、安次郎さんの長男清一さん(明治十八年十二月十八日生)の娘で、徳重さんの姉か妹だと思う。尼子の血筋については、そのうち、お盆の頃にでも、柚木脇治恵さんに手紙で問い合わせてみるよ。
しかし、戦国時代以前のことはわからない。日野富子は数十年前の大河ドラマのヒロインで、三田佳子が演じていた。
返信:【Re_想定外のサプライズ】
自分の子供たちが「方谷入門塾」や「尼子の落人」を読むのは三十年後だろう。まだまだ未来のことだが、身近に人生の糧となる書物があれば、本人たちの目に触れることは必然なことだと思うよ。
ただ、次に息子と会う時には、高瀬の話しやご先祖さまの話しをしてやってほしい。祖父から聞く話しは生涯、心に残ると思うよ。浅草寺に行くときにでも話をしてみてよ。
日野説は、あながち外れていないかもしれない。以前、松田氏の研究をしている人の資料を送ったが、そのなかに備前松田氏の記載もあった。改めて、読み直してみると日野富子が応仁の乱後に備前松田氏の領地に避難していることがわかった。場所は、可真郷。現在の赤磐市とのことだ。伯耆日野郡とは、かなり離れているがそれでも以下記載があった。
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「室町幕府御供衆」 「御台御供衆」「上様御供衆」といわれた日野富子の御供衆の構成員は、松田・長井・大原・小早川・楢原・荒尾・三上・
大和・長・斎藤・三吉・垪和・田村・中条・千秋・安東・塩冶・西郡・毛利・丹比・松波・本郷・金山等の諸氏であった。
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なんと、松田、大原、長の三氏が名を連ねている。これは偶然だろうか。なんの根拠もない話だが、信連が活躍した三百年後に長を名乗る人間はまだまだ限られているはず。もちろん能登の長氏かもしれないが、長谷部家の歴史を調べれば調べるほど、あまりにも身近に日野が登場してくる。
備前松田氏も尼子の家臣だったようだし、出雲松田氏と血がつながっていてもおかしくはない。大まかな流れを考えると結構しっくりくる話だ。しかも、備前松田氏には代々「三郎」を名乗る系図があるらしい。「喜代三郎」はそこから来た伝説かな。すると、福田氏も松田になるね。
まぁ、不確かな話だが想像は膨らむよ。