【344日目】:人工呼吸器を装着する→人工呼吸器を外す
ご隠居からのメール:【人工呼吸器を装着する→人工呼吸器を外す】
人生は不確定要素にみちている。発熱外来で私のコロナ陽性が確認され、入院するとは思ってもいないことだった。入院すると、コロナデルタ株中等症Ⅱという診断だったのも想定外。間質性肺炎の疑いもあるーーこれも想定外。
一方で、人生には確定要素もある。その筆頭は死だ。死はいつか必ず私の訪れる。今回の入院でも、中等症Ⅱが重症化して、人工呼吸器(あるいはエクモ)につながれているうちに、そのまま死に至ったかもしれない。現実には、医師の処方したステロイドが効いて、一命をとりとめた。
したがって、人生には確定要素と不確定要素があり、両要素があざなう縄の如く、くねくねとよじれあい、こんぐらかりながら展開していく。
私はなるべくなら不確実要素を少なくしようと思って、エンディングノートを書いた。そのなかに、「延命治療はのぞまない」と書いているが、実際には医師と家族が決めることなので、私の望み通りになるかどうかはわからない。
「延命治療はのぞまない」と書いたとき、私が意識していたのは、胃ろうと心肺蘇生である。身体が自然死にむかって死のむかおうとするとき、どうしても命を救おうとするのは過剰医療だと思う。
そのとき、うかつながら、「人工呼吸器を外す」ということは意識していなかったが、よく考えてみると、医師が「人工呼吸器を外す」と殺人にな
る。
オランダやベルギーでは、「安楽死法」が成立し、施行されているが、医療後進国の日本では医師が患者を安楽死させたら罪になる。いったん装着してしまったら、よほどのことがないかぎり、外してもらえないおそれがある。
返信:【Re_人工呼吸器を装着する→人工呼吸器を外す】
人工呼吸器の想定までしているとはーー。まあ、父さんらしいといえば、父さんらしいか。これ以上、長く生きてもしょうがないと思っているのかな。
哲学的にものごとを考える人だから、常人にはわからない領域に思想が達しているか。どちらにしても、周りの人間がどうこう言っても仕方がないね。
たしかに、思うように身体が動かず、間質性肺炎と前立腺がんの疑いで、余命宣告されているようなもんだ。最後の娘が家を出ていき、子供たちはそれぞれ家庭を築き、子孫も継がれている。親しい人も先立たれ、残す心配は、長年連れ添った妻の今後のくらし。
「足るを知る」という考えは、父さんの生き方の根底にあるものだから、もう十分人生を全うしたとかんがえているのかねえ。
では、切り替えて限りある命、残された時間を面白楽しく生きることも考えてみてよ。もう、そんな気力も失せてしまっているようだけど、なんか、面白いことはないかね。
じぶんは、いままで、スーパーに売っている、ビール、ウイスキー、ワイン、日本酒などを毎週末飲んでいた。ここ最近は、平日休肝日を設けているので、中性脂肪の値が減少している。健康になっているかのように、すぐに酔っ払うようになってきた。
この間は、ビール二杯で酔っ払ってしまったよ。二日酔いもするから、酒を飲んだ日は、大量の水を飲むようにしている。
こうなってくると、こんどは、酒の質をあげたいと考える。いままで、1,000円の酒を、2,000円にしようという考え方だ。この考え方は、とても良い。日本酒やワインなどは、酒の味が全く違う。先日、沖縄に行ったときには、5,000円の泡盛を買って帰った。
のんでみると泡盛なのに、ウイスキーのように熟成している。いままで、味わったことのない、酒だ。こんな遊びもまた楽しい。
今度家に帰るときは、いい酒を持って浦安に帰るよ。