思考の透明化で得る筋肉
ここ数年、「会社を筋肉質に」というワードをIT業界で見るようになった。
元は市場の不況に応じて海外VCが言い始め、実際に言葉の波に乗るように外資企業ではレイオフが進んできた。1年遅れくらいで国内ベンチャーにもその波が来ており、右も左も筋肉質化と言っている。この波はすぐにIT全体に波及するだろう。
「筋肉質とは何か」とか「筋肉質化の功罪」はまたあるとして「会社の筋肉質化において重要なのはリーダーがどれだけ思考を透明化できるか」であると叫びたい。
思考は伝わらない
私は、最近は転職にあたって引き継ぎ作業を行っている。
元々後続を探す、作るのがLeadと名前のついた人の役割だと思っているので、抱え込んでいるタスクこそ少ない。
少ないタスクの中でも「これはXのためにやります」と宣言してスタートする事が多く、何事も記録に残す事を徹底しているし、Qの終わりには1〜2万字の個人振り返り記事を社内に公開している。
振り返り記事では、かなり具体的かつナイーブに振り返りを書いてあり「この施策はここが噛み合わず価値が出しづらかった、次はこうしていこう」「チームの振る舞いが良かった、特にXXさん」など文章もより課題解決や事業価値に結び付けながら、より前向きで正解から学べるアサーティブコミュニケーションになるよう、外部へのアウトプットとして出せる基準まで推敲している。
これだけ伝達しても、引き継ぎ作業の中では「ばんくしさんがやってたこれって形式的なやつですか?」と問われる事がある。
人の思考とは、時間軸やタイミング、経験によって変わるものだ。また、会社においては人の興味も、事業の方向性も、人自体も移り変わっていく。
引き継ぎ作業になって初めて他人のやっている仕事の意味を確認する、なんて言われたら誰しも経験があるはずだ。
発信する側も聞き手側にもこの考え方が求められるし、その差分を常に現場に落とし込む事をしていかなければ思考は相手に伝わらない。
伝える側は、相手が飽きても言い続けなければいけない。
聞く側は、人の思考の特性を意識しなければならない。
LayerX福島さんのこの記事はより具体的に意識すべき事が書いてあり良い。
思想が違えば出来上がる筋肉も変わる
同じ動きをしていても、考えている事が変われば出来上がる筋肉と結果は大きく変わる。筋トレないし部活、何かしらに熱中した経験を持っている人には伝わりやすいだろう。
ある特定の作業においても、思想によってディテールは変わる。
思想は自ら作り出していく事も非常に重要であるが、他者の思考から得られる情報を取り込まなければ勝利は掴めない。
自分の失敗から自分で学ぶだけでは、いくらでも「こうすれば良かったかも」が言えてしまう。成功から学び、より伸ばす事ができる形こそが筋肉質化であり、私達が目指すべき姿だろう。
会社を筋肉質にしたければ、その会社の中で誰より成功を知っているはずのリーダーが思考を伝えなければならない。
そして一朝一夕では、思考を伝える技術も身につかなければ、伝えるための信頼の基盤も作れない。何より、変化を伝える事もできない。
やり続けるしかない。
Linus Torvaldsがgit運用について語る時のように、署名と説明を残し信頼性のチェーンを作って行かなければ、意味のある施策は生まれない*1。
思考を伝えるということ
さておき思考を他人に伝えるとは難しい事だ。
透明化した思考は時に他人にとっての刃になり得るし、恐ろしく気持ちがへこむようなフィードバックに変わる事もある。
それでもリーダーである以上、伝えなければ筋肉質化は達成できない。
恐怖を捨てろ前を見ろ、進め決して立ち止まるな。引けば老いるぞ臆せば死ぬぞ。
実際に直近はHRとして、他の会社のアドバイザーとして、リーダーとメンバーそれぞれの話を両方から1on1で聞く機会が増えている。
全体の熱量が下がっている時、よく見る状態は「それってメンバーは理解してますか?」「リーダー同士で理解してますか?」のどちらかだ。大体「この前全体会で言いました」「リーダー会で共有しました」という返答が帰ってくる。
頑強な開発チームがそうであるように、定量的、定性的な情報を継続的にウォッチできる状態にしないといけない。
思考を伝え、定量的な観測を示し、それに伴った数値や金額といった定量情報によって実感を与える。少し変わってきたらすぐにその根拠を伝える。人は感情と根拠どちらもないと動いてくれないし、思想がなければ理想の筋肉はつかない。
俺達自身が組織のコミッターになることだ。
おわりに
最近考える時間がめちゃくちゃあるので、継続的にnoteを書こうと思う。
伝えてフィードバックを貰うことでしか筋肉は身に付かない。