わたしはよく人から、何でもキッチリこなしテキパキ無駄なく動く人だと思われる。 真っ黒でしっかりした直毛のせいなのだろか。 何でもキッチリ・テキパキこなせるようになりたいと常々思っている理想だけが、外に滲み出てしまったのだろうか。 実際は休みの日は何も予定を入れず、パジャマ姿で淹れたコーヒーを飲みながら、猫と一緒に、庭の揺れる草花を延々と見ていたい人なのだ。(そうは言っても、バタバタパタパタしてるけどね) そして、最も今やらなければならないことを避け魔反対のことをしてし
danna君はアイディアマンである。 出会った頃から、こういうのあったら絶対便利なんだけどな〜! と言っては、私にプレゼンしてくる。 Anri 『えー、そんなにニーズあるかなぁ?』 danna君 『オレだったら絶対買うし、みんな助かると思うけどな。』 そんな話をしていた数年後、実際に商品としてハンズに並んでいるではないか。 danna君 『ほら!見てよコレ!言ったでしょ?』 となる。頭のなかで、ずっと商品開発をしながら、実際に形になることのないまま、雌鶏の卵の如く温
昨日は昼下がりに天気雨。 雨粒がキラキラと太陽に照らされ、大きな虹がでた。道ゆく人、すれ違う車のみんなが虹に目を輝かせる姿がまた眩かった。 空に架かる大きな虹は、一瞬で大勢の人たちを笑顔にする。虹の放つ色彩には希望が満ち溢れている。 社会のルールやイデオロギー、時間とカレンダー、国境、すべて人間が生きていくなかで生まれ、便宜上作られ、決められたことだけど、元々あったものでは無い。虹は自然界の叡智と生命の自由、果てしない希望をいつも与えてくれる。
今から17年前の11月に娘は生まれた。 地元の大きな神社で龍蛇神祭が開かれる日。 龍蛇神とは主祭神の大国主命の御使神で、『幸福をもたらす神』『縁結びの神』と言われる。 全国からの神様達をお迎えした翌日に行われるお祭りで、毎年この時期になると必ず大社の御紋の刻印された海蛇が浜にあがり、それをお捧げしてお祭りが行われるそうだ。 そうやって大社では龍蛇神祭の準備が粛々と行われるなか、娘は生まれた。 顔を真っ赤にして泣き叫ぶ娘は、もちろん目は見えていないはずなんだけど、対面し名前
アブラゼミが鳴く。 息子が保育園時に愛用していたプラレールが旅立った。 7年部屋の片隅でレゴブロックと共に息を潜めていたが、急にお呼びがかかり、また晴れ舞台にあがる。 新しいご主人様は、最近保育園から帰るとプラレールの本をうっとり眺めていたようだ。きっと喜んでくれるに違いない。
10年ぶりに高校時代の友人が会いに来てくれた。 忙しいときにごめんね〜って言ってたけど、365日✖️10年🟰3,650日 3,650日のうちの1日くらい何も惜しく無い。 そのうちまた会おうね!今年は会いたいね!などと言いながら、家庭もあり、物理的に遠くにいる私たちは本気で時間調整して約束しないと会えない。 気がついたら10年も経ってて切なくなっちゃった。 高校時代は二人とも剣道部で、コテ臭い青春時代を送っていた。 (コテとは、手にはめるグローブみたいなやつで、革製品のた
ことしの夏の暑さはヤバかった。 NASAがわたし達に内緒で、重大な何かを隠しているに違いないと勘繰る程のヤバさを感じた夏だった。 『暑い』と言い過ぎて、暑いに変わる新しい形容詞でも考えようよ! と一瞬提案しそうになったが、それすら面倒臭くなる程に暑かった。 そんな暑さの中に頻繁に登場した夏のパートナーが、レモンとピアノだった。まるで恋をしたようにレモンとピアノを欲し続けた。 オーガニックレモンを大量に取り寄せて レモネードやキニーネ炭酸割りを作っては、 腰に手を当てた牛
昨日から、この辺りは一応台風ということで葡萄の収穫・出荷はお休みで久しぶりのnoteの世界に帰ってきた。 デラウェアの収穫はひと段落。 今はシャインマスカットの収穫を楽しんでいる。 デラウェアの収穫・出荷は短期集中型で、陸上競技に例えるなら400m走といったところだ。 皮がデリケートなことから、熟した後の持ちが悪く、湿度で割れることもあるためスピード勝負となる。 ある程度のスピードとリズムが必要で、それを維持しながら、積み上げられた葡萄のコンテナの山に向き合い、淡々と箱
久しぶりの投稿です。 デラウェアの収穫もひと段落しました。 と、言いたいところですが まだあとひと山残っていて、dannaくんとヒーヒー言いながらがんばっています。 毎日dannaくんの隣で仕事をしていて、時間に追われたりしていると、自分の足りないところ、相手の足りないところばかり見えてくるので 何なんだ!これはイカン! こんなに毎日がんばってるのに、更に自分たちを追い込んでいるではないか! と、ふと dannaくんに 『お互いの、いいところ・長所、を1つずつ交互に
わたしには1つ年下の義姉がいる。(danna君が年下なもんで) 名前はゾエにしとこう。 そのゾエが、誕生祝いにランチをご馳走してくれるというので、最近できたカフェに行ってきた。 私の誕生日は冬なので、半年遅れの誕生祝いなのだけど、忘れた頃に祝ってもらえるのも悪くない。 悪くないどころか、美人でかわいいゾエとデート気分でウキウキであった。 わたしは割と中性的な女子なのだが、ゾエは頭の先からつま先まで、手入れのきちんと行き届いたオシャレ女子で、まばたきから指先の動きまで、動くブラ
最近やたらと幼少期のことを思い出すのだが、事象を捉え認識する主体としての『わたし』の意識、心を観察する意識って、小さい時からほとんど変わってないではないか!とびっくりする。 何十年と変わらず、わたしとわたしを取り巻く世界を把握し、それに対して反応する心を見続けてきたわたしの意識。 心というのは、時間の経過と共に、或いは幻滅した直後には秒で、180度真反対にも変わってしまうものだけど、consiousness、意識というのはずっと変わらず私と共にある。 私の側近とか、パート