(今宿海岸を)夜に駆ける
第一話 五分で着けたら凄いか
ヤスケは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の大学生達を見返してやらねばならぬと決意した。ヤスケは酔っていた。ヤスケも大学生である。サークルの友人達と飲んでいた。けれども、終電を逃してしまった。ヤスケは昨日からの学園祭の打ち上げで、東区の実家から4里はなれた此の姪浜にやってきた。ヤスケには父も母も、内気とは言い難い妹もいるが、この物語には関係ない。明日は、学園祭の片付けがある。ヤスケは、それゆえ、今夜は周船寺に住む友の家に泊ることにしていたのだ。先ず、その友と一緒に飲み、それから別のテーブルに移動した。ヤスケは研究室に所属していた。植物代謝制御学研究室である。今は此の研究室で、助教にこき使われている。その助教から、学園祭の期間は離れられていたのだ。久しく逢わなかったのだから、打ち上げが楽しかった。飲んでいるうちにヤスケは、周囲の様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既にだいぶはしゃいで、疲れてきたのは当たりまえだが、けれども、なんだか、自分のせいばかりでは無く、人自体が、やけに少ない。のんきなヤスケも、だんだん不安になって来た。トイレから帰ってきた後輩をつかまえて、何かあったのか、二十分前には、皆が歌をうたって、会は賑やかであった筈だが、と質問した。後輩は、終電で皆帰りましたと答えた。しばらく考えて、姪浜に住む女に、泊らせてくれないか、と質問した。女は答えなかった。ヤスケは両手で女のからだをゆすぶって質問を重ねた。女は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「子宮が、壊れます。」
「なぜ壊れるのだ。」
「あなたに手籠めにされた場合ですが、誰もそんな、耐えられる子宮を持っては居りませぬ。」
「わたしが、襲うというのか。」
「はい、はじめは私を。それから、ジュンジを。それから、ナオヤを。それから、ナオヤの彼女を。」
「おどろいた。なんという妄想だ。」
「いいえ、妄想ではございませぬ。あなたを、信ずることが出来ぬ、ということです。」
聞いて、ヤスケは激怒した。「呆れた女だ。では周船寺に向かう。」
ヤスケは、単純な男であった。会計を、終えないままに、のそのそ居酒屋を出て行った。たちまち彼は、心配した友人達に囲まれた。止めても、ヤスケは言うことを聞かないので、騒ぎが大きくなってしまった。ヤスケは、姪浜大通りの交差点で叫んだ。
ヤスケは跳ね起き、南無三、タイムロスか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、この大学生達に、人の限界を超えるところを見せてやろう。そうして笑って温かい布団で眠ってやる。ヤスケは、悠々と服についた汚れを払った。酔いも、いくぶん冷めてきた様子である。準備体操は終わりだ。さて、ヤスケは、ぶるんと両腕を大きく振って、笑う友人を尻目に、矢の如く走り出た。
続く
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