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イエロー・イエロー・ハッピー(1)

「麻生さん、麻生清貴さーん」

横に引くスライド式のドアをノックするのは妙に違和感を感じる。ドアを開く動作といえば、丸いノブを掴んで回して、押すか引くかの二択しか無いと相場が決まっているからだ。
音が扉の向こうに聞こえるか聞こえないかの威力で、第二関節を曲げた中指でドアを小突く。

「どうぞー。」

女性の返答を待たずして、既に取手を左手で掴んでいる。右手でノック、左手でスライド。これが合理的に生きるということだ。数瞬の時間も無駄にしない。ドアは軽く力を入れただけで開く。

部屋の中にいた女性は僕を見るなり一瞬キョトンとした顔を見せたが、

「今日は面接じゃないんですから」 と取り繕った笑顔でごまかす。

「どうぞお座りください。」

「失礼します。」

面接と言われたら、その雰囲気が逆に抜けなくなってしまった。

白を基調とした小さな空間だった。部屋の隅の観葉植物と、空気清浄機と、ほのかに香るラベンダーのアロマ。俺がこの部屋に入って急激に緊張し始めたのも、この場には正反対のセミフォーマルスーツを着て、ネクタイも革靴もがっちり黒で固めていたから、というのはすぐに分かった。

「本日担当させていただきます、香本と申します。」

女性が名刺を机の上に差し出す。どうも、とだけ言って受け取り自分の右側にそっと移動させる。

「ふふ、本当に面接みたいになっちゃいましたね」
さっきよりは嘘のない笑い方だった。

白い無地のブラウスに黒のパンツスーツ。セミロングの黒髪を後ろにまとめていて、この人は30代前半に見えるけど20代後半にも見える。
少し大人びて見えるけど、年下だったらどうしよう気まずいなあ。同い年か一個上くらいだったらもう少し楽に喋れるのに、とか頭の中を巡らせていると、

「あ、飲み物ご用意しますね。お紅茶飲めますか? コーヒーもご用意できますけど」

「あ、…大丈夫す。」

「ミルクやお砂糖は?」

「あ、…大丈夫でっしゅ…。」
噛むか普通。二回も同じ言葉を。

「すみません、すぐ持ってきますね」

香本さんが小さなレースカーテンで仕切られた後ろの空間に消えていき、この隙に俺はようやく心の準備ができるようになっていた。

多分、もう、未練は、無い。
今日で、一つ区切りをしよう。

香本さんという担当の女性が持ってきた紅茶を一口すする間、彼女はノートパソコンを開き、俺の情報を出しているようだった。

「改めまして、香本です、よろしくお願いします。」
と、俺も会釈で返す。

「今日、こちらにいらっしゃったということは、」
と、一呼吸置くと、

「理想的な最期をお迎えしたい、ということでよろしいでしょうか?」

「はい。」

自分でも拍子抜けするくらいあっさりと、はいの2文字は出た。

「差し支え無ければ、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「言わなければならないんでしょうか」

「あー! いえいえ! 無理にというわけではないんですけれども」

自分の発言が、いかに相手を困らせてしまったのか、理由が分からないでいると、

「私たちも、無理に人のいのちを断たせるような提案はしてないんです。お悩みごとやお辛いことや、しっかりとお話を聞いて、最善の選択ができるようにお手伝いをしています。」

「最善の選択?」

「例えば、その…、考え直して、やっぱり生きてみるという選択肢があったりとか」

それは有り体に言えばクソですか? と言いかけた言葉を飲み込むのに精一杯だった。そんな選択ができるくらいだったら、精神科に行くなり、生活保護を受けるなり、宝くじで6億当たるなり、誰かの家庭に寄生するなりしてる。

「まあ、そんな余裕あったら、ここには来てないですよね」

自分の心を見透かしたかのように、またしても取り繕ったような笑顔で返す。それを見てまた、全身が熱くなっていくのを感じる。

「どのような最期をお望みでしょうか。」

「誰にも見つからない…、警察の捜索にも見つからないような死に方ってあるんでしょうか。」

「ええ、まあ…」

「あの、痛みとか感じずに楽に死にたいです。親とか警察とかに発見されない、そんな…」

相手がカタカタとパソコンを打ち始めたのでたたみかけるように言ってしまったが、声は尻すぼみになるし、一方的にまくしたててしまうしで、典型的な陰キャのようになってしまった。
香本さんは自分の問いかけが聞こえてないかのように無視してパソコンに情報を打ち込んでいる。一度集中してしまうと他の処理が追いつかなくなるタイプの人かもしれない。
もう今後会うことが無いであろう人の人間観察を脳内でし終えるや否や、女性が手を止めて、パソコンの画面をこちらに向けた。

「こちらはいかがでしょうか。」


* * *

(続)


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