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2025.01.24 朝ごはん食べたい


一人暮らしをはじめてから、Instagramで食事の記録をつけている。食器や配置にこだわるような洒落たものではなく、本当に、ただの記録。

きっかけと目的はわりときちんとある。

きっかけは、津村記久子の短編『粗食インスタグラム』という作品で、選択することに疲れきった主人公は、自分の食事(クラッカーと水、など)をInstagramにアップするという行為で、生活を立て直そうと試みる。(という内容だったか確かめようと思ったのに、本が実家にあり、近所の本屋にも置かれていなかったため、確認ができなかった。もしかしたら少し違うかもしれない。)
わたしは疲れきっていたわけではなく、新生活を前に、なにか生活を記録するようなことはできないかと意気込み、でもどうせきちんとした投稿は続かないだろうと冷静になり、それならばと、主人公の案にのっかり、食べたものをそのままあげてみようと思った。

目的は、そういう「何事も続けられない」性格だからこそ、せっかく新しい生活を始めるのだからちょっとは頑張ってみなさいよ、というのと、食生活をそれなりに客観的に振り返れたらいいな、というものだった。

今のところ、わたしの一人暮らしと『贋作粗食インスタグラム』はなんとか2年続いている。

ただ、圧倒的に朝ごはんの記録が少ない。

平日は仕事のため、寝坊しようとしてまいと、とにかく余裕というものがなく、家で食べる暇がない。
土日などの休みは、予定が無ければ10時ぐらいまですやすやと眠ってしまうので、基本的に朝昼兼用になる。

チンしたおにぎりをポケットに入れて出勤

だからといって、特に大きく困ることはない。
出勤前に朝ごはんを食べ損ねたときは、デスクに常備している「バランスパワー」や「クリーム玄米ブラン」などを食べながら午前中仕事をする。良いか悪いかは別として、ぼりぼり咀嚼しながら仕事をするのは好きなので、これはこれで楽しみのひとつではある。なんなら、ぼりぼり用にインスタントコーヒーやドリップコーヒーもデスクに常備するようにしている。

ただ、そういう日がつづくと、自分の余裕のなさにぼんやりと嫌気がさしてくる。
朝、運動をするわけでも化粧をするわけでもないのに、なにをそんなに切羽詰まることがあるのか。それなりに早く起きれば、いや、特に早くなくとも、なんの無理もなく朝ごはんぐらい食べられるだろうに。なんでそんなに毎朝余裕がないんだ。
と、朝ごはんを欲するわたしが、デスクでぼりぼり食べ続けるわたしに文句を垂れるようになる。

仕事場のデスクに置いてあるRHODIAのメモ帳に、今年最初にメモしたことは、「朝ごはん食べたい」だった。

かなり余裕のあったいつかの朝

わたしにとって朝ごはんとは、「余裕」の象徴なのだろう。
朝ごはんの内容の豪華さや、準備にかかる時間というよりも、朝日が差し込む時間帯に、朝ごはんを朝ごはんとして自宅の机で食べるという行為そのものが、「わたしには今余裕があるんだなぁ」と思える行為なのだと思う。
たとえそれが菓子パン1個であろうと、インスタント味噌汁1杯であろうと。

ヨーグルトは食べるのに時間がかからないからいい

「今年の目標」というのとは違い、人生単位で「朝ごはんを1日でも多く食べられる人間になりたい」と思う。
別に、食べない日があっても、デスクで食べる日があってもいいけれど、あとあと自分で自分に小言を言うことになるんだぞということを気にするようにしたい。
ちょっとしたことで、自分はなんでこうもダメなんだ、と思ってしまうのであれば、ちょっとしたことでも自分に余裕を与えてやらないと、すぐにぼのぼのちゃん(もうだめだぁ~)になる癖がついてしまう気がする。

ただ、朝ごはんを食べるという行為が、自分にとって「ちょっとしたこと」ではないから、大変なんだけれども。


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