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VOLLEY TOUR 2024【17】~試合後の会食
試合後、ペルージャの友人カップルに連れられて訪れたレストランは、トレントチームが試合後に集まるレストランでした。まさか、チームと一緒じゃないよね…。
チームの予約席で埋まる店内、ウエイターさんの案内を待っていると、続々とトレント選手たちが入店。頻繁に試合を見に来ていることもあって、友人は顔見知りどころかチームと仲良しのようで、選手たちとの会話を弾ませています。結局、私たちはそのまま同じテーブルに座ることになりました。
こういう場面に何度か出くわし、その度に言葉の分からない私は孤独を味わってきたので、席の位置取りは重要。20人くらいが掛けられる長いテーブルの端っこを位置取り、今回もひっそり静かに身を潜めて食事をすることに専念しようと思いました。
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が、ペルージャの友人とはセルビアバレーの話題など共通の話題が多いので、いろいろお話を聞かせてくれ、そこで楽しいトークができました。話し相手がいてよかった…と安堵したのもつかの間、よりによってここで、彼は私に、一番聞かれたくない質問をしてきたのです。
「How old are you?」
英語を習いたての初心者でも分かるこの問いかけ。海外の人は年齢に興味ないから聞いてこないよ…というのに、これまで何度も聞かれる場面に遭遇しました。その度に濁して上手く逃れてきました。が、親しくなると隠すのは申し訳ない気がしてきて、だんだん躊躇してしまうようになってしまったのです。
ここで「18だよ~!」などと思いっきり笑い飛ばして次の話題に行けばよかったのに、馬鹿正直な日本人は口ごもってしまい、墓穴を掘ってしまいました。そこから私の年齢当てゲームに…。
30、35、38…徐々に年齢が挙げられていきますが、私の年齢はもっと上…。次第に近くのトレント選手たちもゲームに加わり、私の年齢を探ってきました。あぁ、選手にはバレたくないのに…。
若く見えたいのは女性であればだ誰もが思うこと。若く見られたい、おばさんには見られたくない、それはもちろんなのですが、一番避けたかったのは、「この年齢でこんなことしているのかよ!」と思われること。50を間近に結婚も子育てもせず、仕事に力を注ぐわけでもなく、親の介護をしているわけでもない、ただ趣味を楽しむだけの無責任な人生。社会的地位もなく、世間的には何者でもない負け犬と呼ばれる部類の人間。若ければ「青春」という一時期の自由な時間として許されるでしょうが、この歳になるとただの頭のおかしな人。それを悟られて軽蔑されるのでは…と怖かったのです。
もう、避けられない状況…。ここで覚悟を決めました。徐々に上がっていく年齢、わざと度を越した数字を言ってきたりもしますが、それが実際遠くないから笑いにもならないという悲しさ。最後には自ら白状して、48歳ということを告白しました。
恥ずかしさや悲しさで逃げ出したところを笑いでごまかしていると、彼のパートナーの彼女は、女性が年齢を言いたくない気持ちを察していたようで、ジェスチャーで、「私は51」とそっとフォローしてくれました。その心遣いに涙が出そうでした。
まさかこんなことになるなんて…。試合後まっすぐ帰ればよかったのにここへ来たことを心底後悔。旅の最後の最後、全てが悲しい思い出で上書きされたような気分で落ち込みました。
ですが、もしかすると私が思っているほど、外国人にとって年齢は重要ではないのかもしれません。だからこそ、軽い気持ちで聞いてくるのではないか…。
バレーが好きでホームの試合には常に最前列で観戦し、アウェーの試合も何時間もかけて訪れるおばさまやおじさまが、イタリアには沢山います。家族と来る人もいれば一人で訪れる人もいて、それでもそこに偏見や差別は見られません。そう思うと、こんな私の人生も恥じるものではないのかもしれない…と。
大事なのは年齢ではなく、その人の心やふるまい。年齢当てをしているときにも、私の心情を察して敢えて加わらず見守ってくれていた人もいて、そこに優しさを感じることができました。人柄を知ることができたのは、収穫だったし、そういう面を見て信頼し関係性が築けるのは、壁を取り払ったからかもしれません。これでよかったのかな…。
ホテルに戻ってからも、自分の年齢を考えながらやっぱり落ち込みました。
でも、年齢は変えられないし、どうすることもできません。できるのはこの事実を受け止め、考え方を変えること。推しを追いかけ夢見心地で旅していた以前とは異なり、年々リアルな交友関係が築かれ現実との接点が増えてきた観戦旅。時にこんな自分から逃げ出したいこともあるけれど、でも、やっぱりこの観戦旅を止めたいという気持ちにはなりません。やっぱり…バレーが好きだから。私にバレー観戦の楽しさや生き様を教えてくれた先輩方…ペルージャのおばさまやお姉さんたちを思い出し、彼らのようにバレー観戦に精を注ぐ人生に自信を持って生きたいと思うのでした。
18へつづく…