餃子がきらいだった
子供の頃は餃子が嫌いだった。
というか挽肉が嫌いだった。肉の種類ではなく形態が。
中でもハンバーグは最悪だ。挽肉を固めて焼いた代物、一体何が美味しいのか分からなかった。
ついでに言うとカレーもオムライス(というかケチャップライス)も嫌いだったし、すきな食べ物は茗荷と春菊、魚の血合の部分だった。
変な味覚の子供だったから、母は面食らったと思う。
ただ餃子は我が家でたびたび出てくるメニューの一つだった。
餡が上手く包めないからそれも嫌いだった。上手くいかずにどんどん不機嫌になるわたしを、母は最初こそ宥めるも最終的には怒り突き放した。そりゃそうだ。
わたしはそのたびに反発しながらも、感情をコントロールできなかったことに対する苛立ちと情けなさと、今度こそ許されないのではという不安でぐちゃぐちゃになっていた。
そんなある餃子の日、母は苦肉の策でチーズ餃子を作ってくれた。
普通の餡にチーズが入るわけではない。0.5cm角ぐらいに切ったスライスチーズ(とろけるチーズだととろけ出てしまうらしい)とハムが具材の餃子だ。これが最高に美味しい。
チーズ餃子が食卓に上がった日から一転して餃子の日を楽しみにするようになった。
包むのはやっぱり綺麗にできなくて嫌いだったけど、チーズ餃子はあえて変な形にして具材が多いのがどれなのかわかるように小細工をした。
夕飯が餃子だと知ると、チーズ餃子はあるか確認したし、大抵は作ってくれていた。
ただ個数が少ないため、普通の餃子を3個食べるごとに1つ食べられる、というルールを自分で勝手に決めていた。
それを破った弟に対して腹を立てたりもしていた。我が家公式ルールではなくわたし独自のルールだったから弟が守る必要はない。そもそもわたしはそのルールの存在を明かしてすらいないのだから知る由もない。
なんとも理不尽な姉である。
「大人」と呼ばれる年代になった今、家族で食卓を囲むことはほとんどない。
わたしは一人で暮らしているし、そもそもわたしと弟が成長するにつれ生活リズムが合わなくなって、かなり昔から食事の時間はバラバラだった。
家族揃って食卓を囲むときは大晦日のすき焼きと、お好み焼きの日と、それから餃子の日が多かった。だから、餃子を見ると普通の餃子を乗せた大きめのお皿とチーズ餃子を乗せた二回りほど小さなお皿、それが乗っている剥げかかったテーブルを囲っている家族を思い出す。チーズ餃子の消費ペースが速い弟とそれを勝手にモヤモヤしながら見るわたし、チーズ餃子に手を伸ばす父親と、子供達に残してあげてとお願いする母親。
一人暮らしの今、餃子は専ら冷凍食品だ。冷凍餃子は手軽だし美味しい。
あの頃嫌いだったハンバーグもカレーもオムライスも今ではすきだし、春菊と魚の血合いも未だにすきだ。茗荷は最近食べてないから分からない。
変わるものも変わらないものもある。
もしかしたら包むのも上手くなっているかもしれない。
作ってみようかな、とちょっと思ったりする。
その時はチーズ餃子も作ろうと思う。
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